競馬学校厩務員過程で厩舎の作業をする生徒に密着取材

競馬学校厩務員過程で厩舎の作業をする生徒に密着取材

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競馬学校厩務員過程
5時20分
遠くの空が赤く広がり始めた午前5時過ぎ。
灯りがこぼれる建物では、鍛え上げられた体をむきだしに、男たちの声が響く。
「おはようございます。おねがいします」水曜日の朝だけは、厩務員過程でも体重測定が待っている。むろん前夜は修羅場になる。

「火曜の食堂は、ガランガランな時もあります」生徒たちは、笑いながらそう教えてくれた。
彼らはここでの生活を、60キロ以内で過ごさねばならない。とは言え、生徒の多くは20歳を超えている。学校に入ってから成長期などを迎えることはないので、減量が厳しくて辞めていく生徒はいないそうだ。

午前5時40分には朝礼が始まり、続くラジオ体操が生徒の重い瞼を持ち上げる。
そして休むことなく、朝の厩舎作業が待っている。これが夏になると、午前5時ごろには馬へ跨っているというのだから、つくづくこの世界の朝の早さを実感する。

「正直、牧場時代に比べれば断然楽ですよ」馴れた手付きで厩舎の掃除をテキパキこなしながら、生徒は話す。
厩務員過程を受験するためには、乗馬経験と牧場での実務経験が必須である。牧場での激務を経験してきた彼らにとっては、朝の厩舎作業など朝飯前といったところか。

「牧場より楽です」と話す人は19歳の時から数えて、7年間の牧場勤務経験がある。「厩務員を目指すことは考えてなかったんだけど、給料が安くて……」と、朝飼いを付けながら苦笑いを浮かべる。寝ワラ上げ、厩舎内の掃除、朝飼い付けなどを終え、午前の騎乗訓練のための準備を整えれば、朝の作業は終了となる。夜はすっかり明け、頭上には、いつの間にか澄んだ青空が広がっていた。

7時00分
朝の厩舎作業を終えると、暖かいご飯が生徒を迎え入れてくれる。人気のあるメニューは、やはり「肉系のボリュームがあるもの」と、みな口を揃える。朝食を終えれば、すぐに実技訓練が始まる。少しでも休息を取りたいのだろう。生徒は、ご飯をがっつくと足早に食堂を後にした。

8時
実技が始まる前に、ワタリ編みをしている生徒がいた。ワタリ編みとは、馬のたてがみをカラフルな糸やリボンで束ねることをいう。毎日じゃないけど、たまに練習してます」そう言いながら、鮮やかなオレンジとマリンブルーのリボンを、たてがみヘ丁寧に絡ませていく。

実はこのワタリ編みと、馬の足にバンテージを巻く作業(肢巻き)は、教官から厳しくチェックが入る。女の子へのリボン付け(笑)」輪乗りが始まると、和やかなムードは一転、辺りには緊張感が漂い始める。厩務員過程はわずか6カ月で全てのカリキュラムを終了する。

さぞかし実戦的な騎乗訓練をしていると思っていたのだが、実は最初の3カ月は、基礎乗馬に明け暮れるという。「速いところをしてきた人間は、いまさら騎乗なんてと言いますが、あくまで基本は乗馬技術なんです」乗馬の大切さを続けて話す。「馬がどう動こうと、乗っている人間が動いてはいけない。馬の邪魔をしてはいけないのです。
そういうことは、馬のバランスや動きを理解しないとできません。馬の原理を知るには、ゆっくり走らせる乗馬が一番です」

騎手過程には、3カ月の基本馬術訓練が免除される『3短』と呼ばれるコースもあるが、概ねほとんどの生徒が、ここで乗馬技術の復習をすることになる。
「自分のリズムで馬を動かすんじゃなくて、馬の動きにいかに溶け込めるかが大切なんです……」教官の話は、尽きることなく続いた。「背中を丸めないようにしろ!」馬場では、他の教官の厳しい声が鳴り響く。

11時
厩舎では、午前の2鞍を乗り終え、厩務員過程の生徒たちが馬の手入れをしていた。「昼ご飯は楽しみですけど、教官から受けた注意に、悩みながら作業をすることも多いです」そうやって苦悩し、馬と触れ合い、会話することで、また答えを見つけ、一流のホースマンになっていくのだろう。熱心に馬の脚を洗う姿は、辺りに立ち込める湯気でかすんで見えた。

13時
問題。
「着順確定前の失格事由を書きなさい」
問題。
「最下位降着となるのはどのような場合か、説明しなさい」
講師に「やるか?」と、問題用紙を手渡される。


午後0時からの昼食と休憩時間、15分ほどの厩舎作業後に、生徒たちは学科を受ける。
今日の学科は「競馬法規」である。競馬法規とは、競馬に関する様々なルールを勉強する学問だ。他には「競馬のしくみ」や「スポーツ学」などを学ぶ。

教室は暖かい。うとうとする生徒も多い。
6カ月、人によってはわずか3カ月で、競馬に関する法律やルールなどをすべて覚えなくてはいけないのだから、大変である。

14時45分
1時間30分の学科を終え、生徒たちは残った厩舎作業を開始する。
厩舎の外で干していた寝ワラを戻す作業も、馬の手入れも、もちろん手馴れたもの。馬の瞳も丸くなる。
「学科は眠くて、厩舎作業よりきついです。でも、もう追い込みの時期ですから皆、真剣です」
10月に入った生徒たちは、そろそろ卒業が近い。油断すれば卒業延期になってしまうのだ。

「これから東西に分かれると、もう一生会えない人もいるかもしれない。このメンバーで一緒に頑張れてよかったなって思います」ただし最近では、卒業してもすぐJRAの厩務員になれないことがある。そのことを生徒たちも理解している。「どこの厩舎でもいいから、すぐに入りたい」目標は、馬の気持ちが分かる厩務員。シャワーを気持ち良さそうに浴びている馬を見て、「大入しい馬ですね」と声をかける。「この間、脚でホースを引っ掛けたから、シャワーにビビッてるだけ「分かってないな」と笑った。

時刻はもうすぐ夕方の5時。空は徐々に明るさを失っていた。
馬のとなりで猫があくびをする。

17時
午後の厩舎作業を終えれば、午後の7時過ぎまでが夕食を含めた自由時間になる。
一社会人として認められている厩務員過程の生徒は、騎手過程の生徒とは違い、休日以外にも、この時間内であれば、外出が許されている。この時間を利用して近所のコンビニやスーパーヘ足を運ぶ生徒も多い。
またトレーニングをする生徒や、体育館で体を動かす生徒も目立つ。厩務員も体が資本である。自己鍛錬を怠るものはいない。

「2次の騎乗試験までいって落ちれば、自分に何が足りないのかが分かるし、まずは1次突破のための勉強をするべきだと思います」自身が受けた厩務員試験をそう振り返る。実は厩務員過程の1次試験に、騎乗技術を問う試験はないのだ。
「馬乗りが下手でも、後ろめたさを感じる必要はないし、まずは勉強が大事だと思います」

二人は過去の試験問題を取り寄せ、高校人試程度の参考書を使い、かなり勉強したそうだ。
「こういう話が聞きたいんですよね?」

20時
午後7時過ぎの夜飼い付けで、一日の授業は終わりを告げる。あとは午後10時に眠りにつくまで、思い思いの時間を各自で過ごす。

夕方の5時から、9時まで開いているというお風呂は、生徒たちの楽しみのひとつ。
一日の作業を終えて浸かるお風呂は、やはり格別なものがあるそうだ。また裸の付き合いをすることで、仲間意識も強くなるという。
湯船に浸かりながら話すのは、今日の反省か、それとも将来の夢か。湯気が、本音を言う恥ずかしさをぼかす。明日も朝は早い。心と体の疲れを洗い流すお湯の音を背に、厩務員過程の寮を後にした。



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