騎手のサポート役でもあるパレットの仕事に密着取材してみた

騎手のサポート役でもあるパレットの仕事に密着取材してみた

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最近こそ、競馬中継などでお馴染みのバレットだが、日本の競馬ではその歴史は意外に浅い。
的場調教師が騎手だった頃に息子さんがバレットの仕事をしたのが初めてだという。
現在、バレットは写真入りの通行章とともに、許可番号入りのビブス(水色のメッシュでできたベストのようなもの)を付けている。

L5のビブスを付けた長身の美女、柴田善臣騎手のバレットを務める人に話を聞いた。
初めて馬を見たのは、小学校5年の頃。お祖母さんに連れられて実家の近くにある世田谷の馬事公苑で行われた「占式打球(ポロ競技の原型)」を観に行った時のことだった。

「あんたもやってみたい?」と祖母に訊かれた。
娘に、射撃か乗馬をさせたいとかねてから考えていたお母さんは、馬事公苑で活動している弦巻騎導スポーツ少年団への人団を打診するが、定員のため、空席待ちとなる。1年後、待望の連絡が入り、最初は軽乗(走る馬の背に飛び乗ったり飛び降りたりしながら行う鞍馬のようなもの)からスタートし、乗馬を本格的に始めたのは中1からというが、毎週土日と、春・夏・冬休みは水曜から日曜までビッシリというかなりのハードスケジュールだという。頚椎を傷める落馬を経験しながらも、馬から離れることは一度も考えたことがなかった。

「やめたいと一日は思っても、馬を柵の外から見る人間にはなりたくなかったんです」休みの日に友達と遊ぶことも、旅行に行くことも全然なかったという彼女は、「柵の内側」にいることを選んだのだ。

高校卒業を前にして、井上さんは大学進学を選択しなかった。というのも、馬術部以外の興味はほとんどなく、学業との両立は自分にとって無理だと判断したからだ。結局、自宅近くの乗馬クラブで高3の10月から研修のために通い、すんなりと入社の運びとなった。ところが、少年団との手順や方法の違いにとまどいながらも、順調に馴染んでいったものの深刻なアクシデントにみまわれる。馬房で作業していて、彼女の首の下に馬の顔があったのだが、物音に驚いた馬が急に顔を上げ、そのまま吹っ飛ばされたのだ。

その場で激痛が走ったが「午前中のお客様の乗る馬だから」とがまんして作業。上司に報告してからすぐに病院でレントゲン検査を受けた。そして……、「いや―、良くなんともなかったね。普通だったら半身不随になるところだよ。次に同じところをやつたら、どこかに麻痺がくると思うから、馬は辞めなさい」というドクターストップがかかったのだ。

一生乗れなくなるよりも、再度乗れる可能性に賭けたいと、いさぎよく乗馬クラブを退職した。新しい仕事を探し始めた。
ある日、就職情報誌をチェックしていて、「馬」の文字を発見する。ろくに業務内容も確認しないで応募。面接時に持参した履歴書にはほとんど馬のことしか書いておらず、面接の担当者に笑われたという。

その仕事とは、JRAの電話投票所(PAT以前からあった、オペレーターに電話で依頼する勝ち馬投票券購買システムの投票所) のオペレーターのアルバイトだった。「そこで出会った馬が大好きな先輩と意気投合して、馬産地旅行に行ったんです」修学旅行や家族旅行以外、自分で旅行を計画したことがなかったという。

実は、馬との距離を置こうと決心し、間近に見ることはこれが最後かもしれないと思いつつ、区切りの意味で馬産地にでかけたのだという。初めて好きになった馬に会えて。牧場の方のご厚意でしかも乗せてもらえたんです!」彼女の方から馬と距離を置こうとしても、馬との縁はすでに切り離すことができないほど深くなっていたのだ。

その後、元の職場に出入りしていた知り合いの社長さんがTCKと深い繋がりがあり、その伝手で大井競馬場での誘導馬に騎乗するアルバイトの存在を知る。「空きがあったらやらせてください」と頼み、8ヵ月後、「馬に乗る仕事」に復帰を果たす。それは、燕尾服に身を固め、女性だけで行う華やかな仕事だった。JRAのアルバイトを続けながら誘導馬の仕事をしていくうち、TCKでの交流戦に出生した馬のスタッフを通じて、あるライターさんの仕事をも手伝うようになっていった。

パレットの仕事
バレット、それも関東リーディングを常に争う一流ジョッキーのバレットは忙しい。取材当日、善臣騎手は10鞍に騎乗するので、ゼッケン入れ(斤量調節のための鉛板を入れるもの) に、ほぼ、各レースごとに定められた重さになるようにゴム製の重りを入れる。その後の微調整は善臣騎手自らが行うという。それにしても、微調整は5グラムや10グラムでのものなので、ほぼ適正な重さになるよう、10種類の鞍を準備しなければいけない。

取材当日の騎乗スケジュールの場合、1Rの検量時刻の8時には、6Rまでの検量をまとめて行う。1、2、3、5、6R分を準備し、ハカリの傍に立って、次々とハカリに乗らたままの善臣騎手に鞍を渡していく。その後は3R終了後に残りの7、8、11Rの検量を手伝う。その後は、レースごとにステッキやゴーグル、砂よけなどを手渡すのが仕事。「ある時から、善臣さんは後ろを振り向かずに手渡すようになって、あ、信頼してくれてるってスゴク嬉しくなりました。たまに、ちょっと手が届かなくて落としたこともありますけど、善臣さんの手が行く方向は判ります。でも、開催の間だけ、超能力者になりたいって思います。

善臣騎手が何を考えて、何を希望しているか、言葉に出されなくても全部理解したい!」という。撮影のために府中の検量室前にずっと張りついていたのだが、善臣騎手は本当に彼女を見ないで手渡している。砂よけを作るのもバレットの仕事なんですよ」と聞いてビックリ。砂よけとは、ダート戦でゴーグルの上に付けている、平たいアクリル板のようなもの。てっきり、既製品があるのかと思っていた。馬具屋さんで作ってもらう騎手もいるそうだが、バレット手作りのものを使っている場合が少なくないようだ。

7着までに入ると、後検量があるので、鞍には騎手以外は触れられないため、ゼッケンだけを抜いて、ステッキ、メット、ゴーグルなどを受け取り、8着以降だとすべてを受け取ることになる。また、口取がある場合は、ウィナーズサークルまで出向いて、鞍などを受け取る。バレットたちは、検量室のモニターでレースを見つめ、着順をチェックしてから、飛び出していくのだ。

受け取った馬具はすぐに洗い、拭き、磨かれて整理されていく。騎手たちが顔を洗う洗面所の向かい側に馬具やブーツを洗うための水道が並び、水で濡らさない方がいい馬具のためには、ノズルから圧縮空気が出せるようになっている器具できれいにしていく。取材当日は1回東京の最終日。すべての騎乗が終わると、パレットは次開催に必要なすべての荷物をまとめ、調整ルームに運び込む。各種の鞍やブーツ、ステッキ、ヘルメットなど、合計30キロ近い大荷物になるのだ。

でも、バレットにもっとも必要なのは「体力」ではない。「超能力者」ではないが、誰の邪魔にもならないように、でもぴったりと騎手に寄り添い、気遣いができること。創意工夫をしながら、より手際良く、より喜んでもらえるサポートをすることに尽きるだろう。ただ、バレットの雇用主は騎手本人であり、公募されることは非常に稀だ。実際、現在バレットを務めている人のほとんどが、関係者の家族や知り合いだという。なりたくてなれる仕事ではないのだ。


「心から尊敬できる善臣さんのバレットでいられて、最高に恵まれてると思います。許されるなら、善臣さんがムチを置くまでずっと続けたい。その時は、バレットを辞める時でもあります」これほど尊敬し、心酔できる騎手のバレットができることはなんと幸せだろう。「実は、飛行機が大っ嫌いで、今でも友人と一緒の時はちょっと怖いんですが、善臣さんと遠征に行く時は、全然怖くないんです。善臣さんが乗ってれば落ちないと思ってますから(笑)」この信頼が、そして尊敬が、彼女を開催日の超能力者にしているのかもしれない。


 
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