古代オリンピックの競馬は走路を一往復するものだった
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オリンピックが近づいて、秋の楽しみがひとつ増えた。きょうはオリンピックについて、いやオリンピックにどうして競馬がないのかについて、考えてみたい。馬術競技なら、もちろんある。馬場馬術、障害馬術、総合馬術の3種目それぞれに個人と団体があって、金メグルは6つ。日本からは、話題の井上喜久子選手(馬場馬術)など11選手が出場する。一方、競技を行う馬の数は、世界各国から約300頭にも逹する見込みで、さすがオリンピックの花、馬術競技というところ。
今回のソウル五輪では、野球と女子柔道が公開競技として行われ、バルセロナ大会からいよいよオリンピック正式種目として加えられることが決まっている。 ますます種目が増え、巨大化する近代オリンピックだが、競馬が正式種目として加わるという話は、とんと聞かない。 どうして競馬がないのか。 古代オリンピックに競馬があったことは、よく知られている。昔は(といっても、ほんとの大昔の話だが)、競馬があって、馬術競技はなかったのだ。
アテネの国立考苦学博物館の中にはブロンズの馬が疾走する姿勢そのままに置かれてある。 等身大だ。その裸馬の上に、10歳くらいの男の子が、手綱を持ち、ムチを入れる態勢。 あまりの迫力に、これが古代オリンピックの競馬に出場した馬と騎手の、ありのままの姿かと思うと、感激、感動もひとしおだ。 オリンピアにあるゼウス神殿の東側にある石のアーチをくぐると、競技場(スタディオン)に出る。競馬も、ここで行われた。 競技場はダ円形ではなく、長さ約380メートルの直線走路形式。競馬は、この走路を一往復して争われたという。
苦代オリンピックの第1回は紀元前776年に行われ、当初は競馬といっても戦車競走だけだった。これは走路を2往復して行われたといい、そのド迫力は古代オリンピック最大の見ものとされた。騎手が馬に乗って行う競馬は、第33回の紀元前648年の大会から正式種目にされた。
それから気の遠くなるような月日が流れ、紀元395年、ゴート族が襲って古代オリンピック千百余年の歴史に幕がおろされた。ゼウス神殿には、象牙の肌に金箔の衣をまとったフィディアス作のゼウスの巨像があったが、7不思議のひとつに数えられた巨像も持ち出されてしまった。
それから6世紀の大地震で川が氾濫し、オリンピアは泥の中に埋もれた。また気の遠くなるような月日が流れ、18世紀に遺跡の一部が発見され、ほぼ全貌が明らかにされた。 世紀末には近代オリンピックが始まったが、今度はもう種目に競馬はなかった。いつのまにか近代馬術が浸透し、これがオリンピックの種目とされたのである。
ロシアや東欧圏では、毎年夏に開催国持ち回りで国際競馬大会を行っている。共産圏の競馬のオリンピックである。 資本主義世界では、残念ながらサラブレッドは高価になりすぎた。今さら、金メダル一つに良馬は群れない。 得たものも大きいが、失ってしまったものも限りなく大きいようである。
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