競馬の歴史に関する問題|競馬力検定試験問題

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競馬の歴史に関する問題
栗東トレーニングセンターが開設されたのは1969年(昭和44年)。
美浦は何年に開場したでしょう。
①1963年(昭和38年)
②1969年(昭和44年)
③1974年(昭和49年)
④1978年(昭和53年)


《解説》1978年(昭和53年)4月に茨城県稲敷郡美浦村に開場しました。 それまで、東京・中山の両競馬場と白井分場にあった厩舎がすべて―力所に集められて、現在に至ります。
A④ 1978年(昭和53年)


3歳クラシック牡馬3冠の中で、第1回の距離、行われた競馬場がともに現在と同じなのは?
①皐月賞
②ダービー
③菊花賞
④該当なし


《解説》第1回の皐月賞は1939年(昭和14年)に横浜競馬場の1850メートル、ダービーは1932年(昭和7年)に目黒競馬場の2400メートル、菊花賞は1938年(昭和13年)に京都競馬場の3000メートルで行われました。
A③菊花賞


海外遠征した日本調教馬で、国際GIを初めて勝った馬は?
①ハクチカラ
②シーキングザパール
③タイキシャトル
④シーザリオ


《解説》1998年(平成10年)に仏GI。モーリス・ド・ゲスト賞を勝ったシーキングザパールが日本馬として海外の国際GIの勝ち馬第1号です。タイキシャトルはその翌週に仏GI。ジャック・ル・マロワ賞を勝ちました。ハクチカラは1959年(昭和34年)に米でワシントン・バースデー・ハンデキャップを勝っていますが、当時の米国はグレード制導入(1973年~)前でした。シーザリオは2005年(平成17年)に米GI・アメリカン・オークスを勝ち、これが日本馬としての初の米GI優勝でした。
A②シーキングザパール


有馬記念の第1回は現在と違う名称で呼ばれていました。その名称とは?
①中山盃
②中山オールスター
③中山グランプリ
④中山カップ


《解説》ファン選出の出走馬によるレースをという有馬理事長の発案で、1956年(昭和31年)に「中山グランプリ競走」の第1回が行われました。距離は2600メートル、1着賞金はダービーと同じ200万円でした。翌年に有馬理事長が急逝、氏の功績をしのんで、中山グランプリを有馬記念競走と改称しました。
A③中山グランプリ


1982年(昭和57年)に白井に競馬学校が開校しました。騎手課程の第1期生は?
①中舘英二
②柴田善臣
③武豊
④吉田豊


《解説》この年から騎手の養成課程が2年から3年に延長されました。 ③の武豊騎手は競馬学校第3期生です。第1期には他に石橋守、須貝尚介、田島裕和、林満明がいます。
A②柴田善臣


1987年(昭和62年)にJRA賞が制定されました。
第1回JRA賞で年度代表馬に選出された馬は?
①オグリキャップ
②サクラスターオー
③タマモクロス
④シンボリルドルフ


《解説》年度代表馬は、1954年(昭和29年)~ 1971年(昭和46年)まで啓衆社が、1972年(昭和47年)~ 1986年(昭和61年)まで「優駿」が選出していました。
A②サクラスターオー


女性騎手で初めてJRA重賞勝利を達成した騎手は?
①細江純子
②ジュリー・クローン
③増沢由貴子
④ロシェル・ロケット


《解説》ニュージーランドのロシェル・ロケット騎手が、2002年(平成14年)に第125回中山大障害にキルデッドエージに騎乗し、優勝しています。
A④ロシェルロケット


1994年(平成6年)1月から、外国人騎手に対する3カ月の短期免許が交付されるようになりました。その短期免許で来日した第1号は?
①アラン・ムンロ
②マイケル・ロバーツ
③リサ・クロップ
④オリビエ・ベリエ


《解説》短期免許第1号はニュージーランドの女性騎手のリサ・クロップ。その年の日本での戦績は95戦9勝でした。
A③リサクロップ


外国人騎手で初めて日本馬でJRAのGIレース勝った騎手は?
①マイケル・ロバーツ
②アラン・ムンロ
③オリビエ・ペリエ
④ ミルコ・デムーロ


《解説》マイケル・ロバーツが、1998年(平成10年)12月の朝日杯3歳Sのアドマイヤコジーンで優勝したのが初めてです。
A①マイケルロバーツ


1938年(昭和13年)~ 1952年(昭和27年)は現在と違いオークス(優駿牝馬)は秋に行われていました。その理由は?
①春は牝馬にはフケ(発情)があり、2400メートルでは全能力を発揮できないおそれがあり、秋に施行した方がいいため。
②3歳(当時の呼称は4蔵)春に牝馬に2400メートルは過酷すぎるため。
③春はダービーがあるから同距離のオークスは秋にやったほうがいいため。
①戦前は交通の便を配慮しクラシックは春は関東で、秋は関西でまとめてやるため(春は桜花賞を中山で、皐月賞を横浜で、ダービーを東京で、秋はオークスを阪神で、菊花賞を京都で施行)。


《解説》日本のクラシック(桜花賞、皐月賞、オークス、ダービー、菊花賞)はイギリスに範を取って作られました。最初に始まったのがダービーで1932年(昭和7年)に第1回が行われています。他の4レースは菊花賞、オークスは1938年(昭和13年)、桜花賞、皐月賞は1939年(昭和14年)に第1回が行われています。イギリスではオークスも春に行われていますが、日本では「3歳(当時の呼称は4歳)春に2400メートルは厳しすぎる」という理由で、秋に開催していました。ところが早熟な牝馬はデビュー時から活躍し、ダービーヘ出走する馬が予想よりはるかに多かったため、1953年(昭和28年)からオークスの開催時期が現行の春に移ったのです。春は関東で桜花賞[1939年(昭和14年)~1943年(昭和18年)。中山、1944年(昭和19年)。東京。阪神に移行したのは1950年(昭和25年)の第10回から]、皐月賞[1939年(昭和14年)~ 1943年(昭和18年)。横浜、1944年(昭和19年)。東京。中山に移行したのは1949年(昭和24年)の第9回から]、ダービー[1932年(昭和7年)~ 1933年(昭和8年)。目黒、1934年(昭和9年)~ 1944年(昭和19年)。東京]、秋は関西でオークス[昭和13~ 18年・阪神。東京に移行したのは昭和21年から]、菊花賞[1938年(昭和13年)~1943年(昭和18年)。京都]と、クラシックは春は関東、秋は関西と分け、戦前の5大競馬場でクラシックを1レースずつ行っていました。
A②3歳(当時の呼称は4歳)春に牝馬に2400メートルは過酷すぎるため。


最年少年間100勝ジョッキーは誰?
①増沢末夫
②福永洋一
③河内洋
④武豊


《解説》増沢末夫は1982年(昭和57年)に45歳で、福永洋―は1972年(昭和47年)に24歳で、河内洋は1985年(昭和60年)に30歳で初めて年間100勝を達成しています。武豊が初めて年間100勝をマークしたのはデビュー2年目の1988年(昭和63年)、19歳の時でした。
A④武豊



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