レースに関する問題|競馬力検定試験問題

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レースに関する問題
兄弟騎手の重賞競走1、2着独占は過去に3組ありますが、達成していないのは?
①嶋田功・潤
②横山賀―・典弘
③武豊・幸四郎
④吉田豊・隼人


《解説》①は1976年(昭和51年)セイユウ記念で、②は1996年(平成8年)札幌3歳Sで、③は2000年(平成12年)日経新春杯と2004年(平成16年)小倉記念で達成しています。いずれのケースも兄が優勝しています。
A ④ 吉田豊 隼人


一番人気の連敗記録を持つ波乱の重賞レースは?
①天皇賞・秋
②七夕賞
③函館記念
④ジャパンC


《解説》1978年(昭和53年)にカミノハヤブサが一番人気で優勝。その後2005年(平成17年)にダイワレイダースが優勝するまで、一番人気が26年連続で敗退しています。
A②七夕賞


現在、日本の競馬の出走可能頭数は18頭以下に制限されていますが、それ以前の最も多頭数立てだったレースの出走頭数は?
①29頭立て
②33頭立て
③42頭立て
④66頭立て


《解説》1953年(昭和28年)の日本ダービー。優勝馬は一番人気のボストニアン(蛯名武五郎騎手)でした。このレースでは3頭が落馬するという混戦になりました。また2着にはダイサンホウシュウが入りました。
A②33頭立て


ジャパンCを勝った最初の日本馬は?
①キョウエイプロミス
②カツラギエース
③シンボリルドルフ
④ロッキータイガー


《解説》1981年(昭和56年)に創設されたジャパンCで日本馬が最初に勝ったのは、1984年(昭和59年)の第4回で10番人気でノーマークだったカツラギエースが逃げ切ったのが最初です。この時は単勝4060円の好配当でした。シンボリルドルフは1984年(昭和59年)が3着、1985年(昭和60年)に2頭目の日本馬優勝を飾っています。残る2頭は2着です。 ロッキータイガーはジャパンCで2着に入った唯―の公営(船橋)所属馬です。
A②カツラギエース


1938年(昭和13年)に行われた、第1回菊花賞の1着賞金は?
①100円
②1000円
③1万円
④10万円


《解説》翌14年に五大クラシックがすべて出揃ったものの、当時は、ダービーと共に菊花賞の賞金がその中では最も高かったのです。
A③1万円


春の天皇賞は、1939年(昭和14年)から現在に至るまで、距離は3200メートルですが、唯一、1938年(昭和13年)のレースだけ(当時は帝室御賞典)距離が違います。さて、その距離は?
①2400メートル
②2700メートル
③2900メートル
④3600メートル


《解説》ちなみに秋の天皇賞は、1937年(昭和12年)が2600メートルで、1938年(昭和13年)から1983年(昭和58年)が3200メートル、1984年(昭和59年)以降が2000メートルです。
A②2700メートル


シンザンは19戦中15戦で1番人気、3戦で2番人気だったが、唯一、6番人気の低評価だったレースは?
①新馬
②三歳中距離特別
③スプリングS
④目黒記念(秋)


《解説》デビュー以来、無傷の4連勝で東上したものの、弱い相手とばかり対戦していたため、東上緒戦のスプリングSでは6番人気の低評価だった。シンザンの単勝配当が1000円以上ついたのも、もちろん、このレースだけなのです。
A③スプリングS


平成8年、エリザベス女王杯が3歳限定から古馬との混合になった。 これにより秋華賞との「2冠」の獲得が可能になった。
次のうち秋華賞・エリザベス女王杯どちらかしかを勝っていないのは?

①メジロドーベル
②ファインモーション
③ファレノプシス
④テイエムオーシャン


《解説》メジロドーベルは1997年(平成9年)、1998年(平成10年)。ファインモーションは2002年(平成14年)。ファレノプシスは1998年(平成10年)、2000年(平成12年)にそれぞれ勝っていますが、2001年(平成13年)の秋華賞馬。テイエムオーシャンはエリザベス女王杯を制していません。同年出走してトゥザヴィクトリーの5着に終わっています。
A④テイエムオーシャン


同一レースの最多連続勝利の記録は現在、武豊騎手が保持している。 そのレースとは?
①弥生賞
②若駒S
③阪神大賞典
④若葉S


《解説》武豊騎手は、2002年(平成14年)のモノポライザーから5年連続して若駒Sを勝利しています。その後の勝ち馬は順にリンカーン、ブラックタイド、ディープインパクト、フサイチジャンク。いずれもその後重賞戦線で活躍した馬ばかりで、最近「登竜門」の呼び名が同レースについているのもこのためなのです。
A②若駒S


高知競馬で連敗記録を打ち立てて話題を呼んだハルウララ。
母や見らも勝ち運に恵まれなかった不運な一族だが、さきごろJRA所属の妹が初めて勝ちを手にした。その競馬場は?

①小倉競馬場
②阪神競馬場
③中山競馬場
④中京競馬場


《解説》浅見厩舎所属のタガノヒロインが2005年(平成17年)1月29日に1回小倉競馬4R未勝利戦を勝った。鞍上は川田騎手でした。ちなみに母のヒロインは美浦。大和田厩舎で11戦0勝、兄アンタレスシチーは栗東・斉藤厩舎で2戦0勝でともに勝ちを味わわずに引退しています。
A① 小倉競馬場


騎手のデビュー勝ちは少なくないが、重賞を勝つまでは時間がかかるのが通例。
そんな中、デビューして2日目で重賞を勝ったのが武幸四郎騎手。 さて、そのレースとは?

①マイラーズC
②弥生賞
③チューリップ賞
④中山牝馬特別


《解説》1997年(平成9年)のマイラーズC(GⅡ)をオースミタイクーンで勝ったのがデビュー2日目でした。これが現在の最速記録。ちなみに兄の武豊騎手は初騎乗が1987年(昭和62年)3月1日、初勝利が同3月7日、初重賞勝ちは同10月11日の京都大賞典でした。
A①マイラーズC


京都競馬場にあるシンザン像。その碑文に「五冠馬」とともに、漢字で記されている馬名は?
①神参
②神賛
③深賛
④深山


《解説》ちなみに馬頭観音の隣には、京都で行われた宝塚記念のレース中、命を落としたライスシャワーの碑があります。
A②神賛


ジャパンカップ以外で、初めて日本のGIを勝った外国馬といえば何?
①ハートレイク
②メアジードーツ
③フェアリーキングプローン
④サイレントウィットネス


《解説》1995年(平成7年)の安田記念を勝った。メアジードーツは第1回のジャパンカップ勝ち馬。フェアリーキングプローンは2000年(平成12年)の安田記念勝ち馬で、サイレントウィットネスは2005年(平成17年)のスプリンターズS勝ち馬。
A①ハートレイク


JRAで過去に行われていた重賞のうち、最も重賞としての開催が少ないのはどれ?
①シーサイドS
②サフアイヤS
③ペガサスS
④クリスタルカップ


《解説》1996年(平成8年)に1回だけ開催され、翌年から札幌と開催時期が入れ替わったため、エルムSに受け継がれているが、GⅢ のシーサイドSとしては1回だけ(その前にはOP特別などとして行われていた)。 サファイヤSは13回(これはGI秋華賞新設された影響で開催時期が獲れなくなり、廃止)、ペガサスSは5回(アーリントンカップに)、クリスタルカップは19回行われた。
A①シーサイドS


日本馬として初めてドバイワールドカップに参戦した馬は?
①ライブリマウント
②ホクトベガ
③キョウトシチー
④トゥザヴィクトリー


《解説》1996年(平成8年)の参戦で6着。ホクトベガは1997年(平成9年)で競走中止。1998年(平成10年)のキョウトシチーは6着。トゥザヴィクトリーは初めて連対を果たした日本馬で2001年(平成13年・2着)、2002年(平成14年。11着)の参戦。
A①ライブリマウント



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