乗馬の魅力と日本交通史と馬車

乗馬の魅力

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このところ、若い女性たちを中心に乗馬を楽しむ人たちが増えてきました。かつては、環境に恵まれなければなかなか楽しめなかった乗馬が、現在ではごく身近なスポーツになってきたのです。 また、さまざまな乗馬クラブが各地にどんどんつくられています。余暇の積極的活用が進むなかで、今後ますます乗馬の愛好者が増えるものと予想されています。

乗馬の最大の魅力は、それが生き物を相手にするスポーツだということです。数えきれないほどのスポーツがありますが、生き物を対象とするスポーツは他にないといえるでしょう。 広い自然のなかを人馬一体となって走り、爽快感を満喫するスポーツ。それが乗馬なのです。 さらに、乗馬は生涯を通じて楽しめるスポーツでもあります。

テニスやゴルフ、水泳なども生涯スポーツといわれていますが、年齢と共に実力が下がっていくのが普通です。しかし、乗馬では年齢と共に円熟味が加わるなど、年齢によるハンディをあまり感じさせません。つまり、息長く自分の実力を発揮できるスポーツであるわけです。 さて、乗馬にはさまざまな楽しみ方があります。 野外を走ったり、障害を跳んだり、リーダーの指示どおりにグループで運動したりと、自分の目的に応じて自在に乗馬を楽しめます。

しかし、どんな楽しみ方をするにしろ、何よりも心がけておかなければならないのは、馬をよく理解し、愛情をもって接するということです。 馬は単なる道具ではなく、ときには乗馬の主役でもあるわけです。個性もあれば、感情もあります。それだけに、思いやりをもってあたたかく馬に接する必要があります。そのように、人間と馬との間に信頼関係が生まれたとき、人馬一体となったすばらしい乗馬が可能となります。

逆に、馬との信頼関係が崩れたら、馬を御すのは並大抵のことではできません。馬の力は人間が何人束になってもかなわないほどで、こうなっては乗馬どころではなくなります。 そうならないためにも、馬との間に厚いパートナーシップを築くようにぜひ心がけてください。 なお、乗馬の経験を積み、さらに高度な練習を重ねることで馬術競技へと進むことができます。

馬術競技の種目には、障害飛越競技と馬場馬術競技、さらに、野外騎乗を主とし、これに上記の両者を組み合わせた総合馬術競技などがあります。 ただし、本書ではあくまでも乗馬の入門書として「初心者が乗馬をマスターするにはどうしたらいいか」に重点を置きました。ですから、競技馬術については軽く触れる程度にとどめてあります。まずは、乗馬の基礎をひと通リマスターすることが、目的となっているのです。

乗馬の服装
乗馬に欠かせない服装といえば、なんといってもキュロットです。この乗馬ズボンは、からだにピッタリとフィットして、しかも、ひざや股の部分がすれないように補強してあります。初心者といえども、このキュロットだけはかならず用意するようにしましょう。 なお、乗馬人口の急激な増加にともなって乗馬の服装も大変ファッショナブルになってきています。もちろん、自分の好みに応じてコーディネイトするのは大いに結構ですが、少なくとも機能性に優れたものを選ぶようにしましょう。

必要な道具
どんなスポーツを始めるにしろ、最初はどこまで道具を揃えればいいのか、何かと迷うものです。当然、レベルが上がるにしたがって必要な道具は変わってきますので、ここでは最低限なくてはならないものを紹介することにします。それは、長靴、手袋、ヘルメットなどです。 このなかでも、特に重要なのはヘルメットです。落馬したとき、ヘルメットは頭が衝撃を受けないように守ってくれますので、くれぐれも自分の頭にピッタリ合ったものを着用するようにしましょう。

馬車は特権階級の乗り物
日本交通史と馬
馬に乗ることは、ごく当たり前のこととして受け止められている。しかし、人間が馬に乗るようになったのは、家畜化されて6000年と言われる人間と馬の歴史の中では、 一部の地域を除いて、ごく最近のことなのだ。少なくとも初めの3分の2の期間は、馬と言えば軌引が主流であった。

つまり馬は人間が乗るものではなく、物や人を運ぶための馬車、あるいは戦車を引っ張るものだったのだ。「すべての道はローマに通じる」と言われた、ローマ帝国の道路網。あの石で舗装された道路も、もっぱら馬車のための道路であった。どうして馬に乗るという利用法がなかなか一般化しなかったのか。それはおそらく、あぶみの発明と伝播が遅れたためだと思われる。

日本に馬が伝えられたのは五世紀ごろとされる。乗馬の技術や馬の飼い方とともに、朝鮮半島からやってきたのだろう。それ以来、馬は日本の地に定着し、やはり戦の道具として利用されてきたが、日本では馬車を引かせるという利用法はほとんど見られなかった。馬はもっぱら武将が騎乗するか、背に荷物を載せて運ばせる駄載用として用いられ続けた。馬車を引かせるという利用法が現われるのは、明治維新後のことだ。

日本には古くから、牛に引かせる牛車が存在していた。それがなぜ馬車に発展しなかったのだろうか。スピードは牛車の二倍以上だし、牛車から馬車への転換に大きな技術的改良は必要ないのにである。これは日本交通史の大きな謎とされてきた。 最近、この理由が意外に簡単なところにあったことが指摘された。それは幕府の政治、経済政策にあるというものだ。すなわち、時の権力者が馬車の使用を禁じていたのだ。それだけ彼らは馬車の便利さを知っていた。馬車の普及によって自分の権力がおびやかされる危険を察知していたのだろう。 その後、明治維新となり禁が解かれると、町じゅうに馬車が氾濫したことは言うまでもない。
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