装蹄師は危険だけど馬の事を知らないとできない

装蹄師は危険だけど馬の事を知らないとできない

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装蹄師とは
馬の蹄は、人の爪の部分にあたる。また蹄鉄とは、人が履く靴のようなもので、競走馬や乗用馬の蹄を保護する目的で、蹄に装着される鉄のことである。
装蹄師とは、蹄を手入れし、蹄に蹄鉄を着ける職人たちのことを言う。

彼らの仕事はこうだ。伸びてきた蹄を切って、形を整える。そしてその蹄に合わせて蹄鉄を作り、装着する。また蹄に問題があれば、その治療も行う。

簡単そうだが、その世界は深い。人間の爪と同じように、馬も様々な形の蹄を持っている。
まったく同じ形の蹄などないのである。
だが装蹄師たちは、この世にふたつとない蹄に、ビッタリと蹄鉄を合わせていく。
それはまさに職人業だ。


きっかけはあざやかな手際
取材に応じてくれたのは美浦トレーニング・センター専門役、指導級装蹄師の小野悦三さんだ。
小野さんの場合、なぜ、装蹄師になりたいと思ったのだろう?
「高校時代、学校の乗馬クラブに所属していて、クラブの馬の装蹄に来ていた親方の手際のあざやかさを初めて見たのがそもそものきっかけでした。職人というか、技術者というか、自分もあんな仕事をしてみたいなと。

どうやったらなれるのか、直接その方に聞きました」体格的に乗り役を目指すことができなかった小野さんは、それでも何らかの馬に関わる仕事を希望し、アンテナにひっかかったのが装蹄の仕事だったのだ。

「当時は装蹄師の国家試験があったのですが、昭和45年に廃上になりました。同年、日本装蹄師会が認定制度としてその役割を引き継いだんです。日合(福島)の高校を卒業した私は、駒場学園高等学校の装蹄科に編入しました。私のように他の学校を出てから来る人も多く、年齢もさまざまでしたね」なんとも専門的な学科だが、そこでの1年で何を学べるのか。「まあ、馬学一般、生理学、解剖学、病理学はもちろんやります。それから、基本装蹄学、鍛冶技術、蹄病学など、装蹄に必要な専門知識です。

装蹄についての専門学校で、指定校? 認定校だったかな? 装蹄科の卒業試験が2級の認定試験にあたるという形で、卒業すると2級合格ということですね。もちろん、普通の学校でもありますから、中間試験とか期末試験とかもクリアしていくんですが」なんだか、めちゃめちゃたいへんそうだ。学校に行かない場合、2級の受験資格をどうやって得るのだろう?「親方のもとで3年間修行し、短期講習会(3カ月)か長期講習会(平年)を受けると、2級を受験できます」

2級を受けるまでに最低で3年3カ月……。たしかに、超専門職であり、職人であり、馬の成績どころか健康自体に直接影響のあるお仕事なのだから、キャリアと場数を要するのは当然か。


装蹄師になるためには
今、装蹄師になろうとしたら、どんなルートがあるのだろう。「現在では、宇都宮に日本装蹄師会装蹄教育センターがあり、そこで1年間講習を受けるんです。そうすると、2級認定装蹄師試験の受験資格が得られます。合格後、5年経験を積んだら1級認定装蹄師試験の受験資格です。まだまだ終わりではありません。1級合格後10年後に、指導級認定装蹄師試験、まあ、装蹄師では一番上のクラスですが、これを受験できるようになります」

聞くだけで、気が遠くなるような道のりだ。この装蹄教育センターに在学していて、JRAの装蹄師を目指す人はどんなふうに進むのか。「1年課程ですから、入学した年の秋にはJRAの入会試験を受けることになり、内定をもらってから2級の試験合格を目指すことになりますね。もちろん、JRA以外からもいろいろな求人申込がセンターに行き、生徒はその中から希望就職先を探すわけです。

たとえば、南関東の大井競馬場の○○という装蹄師がひとり探している、といった具合です。それを希望するなら、社長である親方との面接を受け、先方が受け入れれば決定ということですね。もちろん、乗馬専門の装蹄師からの求人もあれば、仔馬や繁殖牝馬、種牡馬などを手掛ける生産地を専門としている装蹄師からもあります。開業している親方のなかにも、競走馬もやれば乗馬もやるというふうに兼ねている人もいます」

なるほど、装蹄師の資格をとるための学校はここだけだから、ほぼすべての考えられる就職先から求人が来るわけだ。もちろん、同じところから毎年コンスタントに来ることはあまりないだろうが、紹介者がいるなどして、以前から知り、尊敬する親方のもとに弟子入りするというのでない限り、この学校に入れば、1年間の学習で基本的で広範な知識と技術、それにコネの代わりに諸方面からの求人を選べるようになるのだ。


ここで装蹄師になるための道のりを、あらかた説明しておこう。
まずは宇都官市にある社団法人日本装蹄師会の装蹄教育センターで行われる、「装蹄師認定講習会」の受講生にならなければいけない。

もちろん希望者が全員参加できるわけではない。人講試験にパスする必要がある。
平成17年度の募集要項を見ると、1次に筆記試験、2次に面接と体力試験が実施されている。
試験は一般教養的な中身が中心で、乗馬経験や、馬の世話をしたことの有無などは問われていない。まったく馬に触ったことすらない人もいたそうだ。

だが馬に乗った経験も必ずプラスになるでしょうと、馬乗りの経験の必要性を説く。
「馬の動きを理解していると、乗り手の人に、『こういう動きをしませんでしたか?」と聞くだけで、痛いところがだいたい分かるようになるんです。馬の動きは、実際に乗らないと分かりませんから」
馬にとって大切な部位を預かる職業である。
馬のことを知りすぎていて損なことは何もない。
話を戻そう。

「装蹄師認定講習会」への合格率は、ここ数年の平均でだいたい4倍前後である。
試験に合格すると、1年間に及ぶ完全な全寮生活による講習会が行われる。この1年間で装蹄師としての基礎的な知識と技術を学ぶ。
そして講習終了後に『認定試験』に合格すれば、『認定装蹄師2級』という資格が与えられる。
これで大手を振って「装蹄師」と言えるようになるのである。
しかしこれで一人前と呼べるわけもない。

『認定装蹄師1級』の試験を受けるまでに、5年トレセンで働きたい。
この看板を掲げるまでに最低15年間の実務経験が必要とされ、そして中央競馬で独立開業するための資格でもある『指導級認定装蹄師』の試験を受けるには、さらに10年という歳月を修行に費やさなければならないのである。

15年という数字はとても大きく見えるが、修行している本人たちにとっては、けっしてそんなことはないようだ。
「15年って長く聞こえますけど、やっているとそんなこと感じません。毎日、やることや覚えることや知りたいことが、たくさんがありますし、出てきますから」
と親方の話を聞きながら頷く。

現場へ取材をしているうちに、午後の作業の開始時間が迫った。
「多いときで、1日に15、6頭の馬に作業します。依頼は馬主さんからか、調教師からですね」だいたい競走馬の蹄鉄は2、3週間で打ち替えるそうだ。
現在、「ホースシューイング志賀」では、約150頭の馬を扱っている。当然のことだが、全ての馬の特徴を掴んでいる。装蹄の道具を車のトランクに載せると、美浦トレセン内の厩舎へと向かう。
厩舎へ着いて先ずすることは、馬の歩様をチェックすることである。「はい。いいですよ」という声がかかれば異常なし。

まずは履いている蹄鉄を取る作業が始まる。釘で打ち付けられている蹄鉄を、弟子のひとりが馴れた手付きでとっていく。
次に蹄を切る作業。これは削蹄と呼ばれている。ほんの1ミリ削り間違えただけで、馬の脚に不調をきたすこともあるという。
だが逆に削蹄の技術で、脚元の不安を解消することもある。これを削蹄療法と言うそうだ。
まるで獣医のよう。

「我々の仕事は、自然に近い状態へ近づけてあげられるように、補助的な役割をすることなのです。だから治す仕事ではありません。伸びた爪を切るだけというのが、1番いいんです」と言いい、「まぁ植木屋さんみたいなもんです」と笑う。
削蹄が終わると、新しい蹄鉄に打ち替える。
馬の蹄をちらっと見ると、蹄鉄を鉄床の上に当て、ハンマーで打ち始める。
「カンカントーンカンカン」

鉄を叩く音が辺りに響く。聞けば、この鉄を叩く音で、その人の技量が分かるという。
「無駄な所を叩くと音が違ってきます。未熟な人は余計な所を叩いてしまうから、一定のリズムが刻まれないんです」ハンマーを降ろし、1回、2回と馬の脚に蹄鉄を当て、微調整をかければ蹄鉄作りは終わりだ。それはあっという間の出来事である。
「いちど蹄を見れば形は分かりますし、鉄は打てます」
「10年もやれば誰でもできますよ」と平然と言ってのけるが、さすがにシロートにも、仕事っぷりは見事と言う他ない。

出来たばかりの新しい蹄鉄を、蹄に釘で打ち付け、余った釘先を山本さんがヤスリを使って丁寧に処理して、作業は全て終了した。その時間、全部でわずかである。道具を片付け、次の依頼先へ向かう途中に「次の厩舎の馬は危険なので、遠くから見ていてください」と言った。


危険と隣り合わせの職業
大きくて力が強い馬の脚元で作業をしている装蹄師に、ケガはつきものだ。
「どんなに気をつけていてもケガをする」
その言葉に装蹄師の危険さが分かる。
「馬は予想外の動きをするから、『あっ!』と思った時には、もうやられています」
名誉の負傷がある。

タイキシャトルがフランスのGIジャックルマロワ賞を制したとき、フランスにいた。むろんタイキシャトルの蹄鉄を打つためである。
だが事故は突然起こる。タイキシャトルのずれた蹄鉄を直そうと、脚を抱えた瞬間、胸を思い切り蹴られたのだ。それはレース当日の話である。志賀さんは痛みをこらえながら、蹄鉄をはめ直した。

そして送り出されたタイキシャトルは。「その話ね。だいたいこの辺りでしたよ」そう言うと、右胸下、みぞおち付近をさすった。
馬に蹴られる、踏まれるというのは、けっして珍しいことではない。一歩間違えたら命をとられる可能性がある職業だということは、必ず頭に入れておいて欲しい。


現在、JRAにはどれくらいの装蹄師が所属しているのだろうか。「JRA全体で40人くらいですね。今年ですと、美浦が8人、栗東が7人。ほかには馬事公苑、競馬学校、総合研究所、などなど、配属先はJRAからの辞令で決まります」イメージからすると、装蹄師こそ、男の職人世界で、女性が入りづらそうな気がするが……。「日本全体で現在4名の女性装蹄師がいます。JRAにはそのうちの1名で、去年まで栗東にいましたが、今年から競馬学校に所属しています。

イキイキとやってますよ。フレッシュマンは入会後どんな経緯をたどってお仕事するのだろう?「1年目は、競馬学校で基本的な技術と知識をジックリ学びます。2年目は育成場に行って仔馬から種馬までを勉強します。3年目に美浦か栗東に配属され、はじめて現役の競走馬について勉強するわけです。

4年目からは、それぞれの資質や人員配置のバランスなどで、配属先が決められていきます」1級の認定試験を受験できるようになるまで、基礎の3年間が設けられ、それから定められた配属先で経験を積むことができる。2年目の研修で仔馬から種馬までさまざまな種類を経験できるというのが、大きな組織の一員となることの利点ではないだろうか。

トレセンでの装蹄師「装蹄師の平常業務で最も多いのは、やはり競走馬の蹄鉄の打ち替えですね。依頼があってするものですが、通常は3週間に1回です。また、一日.担当が決まると、他の人間に変わることはめったにありません。なので、基本的なサイクルと、あとはレースとの兼ね合いで、かなり長期にわたる予定表ができます。それによって装蹄業務をこなしていくわけです」

この仕事も、科学がどんなに進歩しても、熟練した人の目が判断し、熟練した人の手で微調整されながら打たれる手作業の極致ともいえる仕事だが、1日にどれくらいの数をこなすのだろうか。「予定表によって動くので、平均して何頭ということはありません。土、日はゼロということもありますし、2~3頭の日も、10頭ほどの日もあります」取材にうかがった日、残念ながらすべての作業が終わってしまっていたが、乗馬センターの1頭の芦毛クンの予定を変更し、早めに打ち替えをしてもらえることになった。

競馬場での装蹄師
JRAの他の職種では、平常業務と開催業務が必ずといっていいほどあるが、装蹄師の開催業務とはどんなものなのだろうか。「土、日は交替で競馬場に行きます。たとえば中山開催だと3名が勤務しますが、美浦トレセンから3名ではなく、馬事公苑や、競馬学校、総合研究所など、あらゆる場所から1場あたり3名分を割り振ります」

開催当日はどんなお仕事をするのだろうか。「装鞍所でレース前に必ず行なうのが『蹄鉄検査』です。これは、JRAの規定にはずれた蹄鉄を装着していないかどうか調べるもので、厚さ9ミリ以下か、幅22ミリ以下か、重さ125グラム以下かなどを調べます。

重さは、はずして量るわけではないですが、そこは装蹄師ですから、見れば見当がつくわけです」しかし、170頭もの馬をすべてチェックするのはなかなかたいへんな作業ではないのか?「朝いっぺんに全頭をチェックするわけではなく、レースごとに装鞍所に来た馬を調べます。この蹄鉄検査以外にイレギュラーな業務というのはほとんどないですね。

ただ、今でしたら中山グランドジャンプ出走のために海外から馬が来てますね。それとか、ジャパンCのときなどもそうですが、JRAの各競馬場の国際厩舎に外国からの馬が滞在している間は必ずJRAの装蹄師がひとりつきます。馬と同行しているスタッフの要望にいつでも応えられるように待機するわけです。また、国によって使用できる蹄鉄は違いますから、場合によってはこちらで用意した規定の蹄鉄に打ち替える必要があったりしますね」



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