1975年グランドナショナルはレッドラムの悲哀
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薄明のなか、雪が舞っていた。4月の初旬というのに、〈冬〉が、その最後の抵抗をしていた。リバプールヘ向かう深夜のバスは今やバーミンガムを過ぎ、その昔ローマ軍がこの地を制圧していた時代に建設をみた古都チェスターに近づきつつあった。
たそがれのなか、イングランドの典型的な田園地帯に降りしきる雪は、周囲に銀色の世界を出現させ、そこここに点在する、白壁に漆黒の柱という単色の対比も鮮やかな古い建築様式による家々は、訪れる人に幻想的なムードさえ感じさせた。イギリスでは、こうしてまだまだ冬のイメージが支配的であった。
大気の静けさと冷たさとはうらはらに、この日は永遠にターフの歴史に残るかもしれないのだ。レッドラムがこの日のグランドナショナルに勝つかどうかにかかっていた。 この、世界で最も大きなスティープルチェイス(障害レース)といわれるグランドナショナルを、120年を超える長い歴史をみても、三度勝った馬は一頭もいない。
すでに一昨年、昨年と二連覇しているレッドラムは、今年勝てば三勝目を、しかも連勝で飾ることになり、サラブレッド競走史上に不減の金字塔を打ち立てることになるのである。 その未到の大記録を見とどけたかった。そのレースの目撃者となり、歴史の証人となりたかった。そしてそのためにのみ、リバプールの郊外エイントリー競馬場へと向かったのである。
ここで簡単に、グランドナショナルの歴史に触れてみよう。 このレースの第一回が行われたのは、1837年のことである。1941年から45年までの5年間は開催されず、今年で第134回となる。距離は7217メートル。越えなければならない障害は延ベ30の多きを数える。第7回以降はハンデ戦となり、最低の斤量は63.5キロとの規定がある。なお6歳以上でないと出走できない。
この障害レースのクラシックの歴史には、多くのドラマもまた展開されてきた。現在のグランドナショナルのコースは1880年代の後半に完成をみるけれど、それから十年後、1897年にグランドナショナル史上最高の名馬といわれるマニフェストが勝っている。 一年おいた1899年には十一歳で79.4キロを背負い、再びグランドナショナルを制覇した(この斤量は1893年のクロイスターなど三頭と並んで勝利馬として最も重い)。
グランドナショナルに挑戦すること8回、2勝のほか入着(四着以内)3回、最後のグランドナショナルは十六歳のときであったという。おそらく、このマニフェスト以上に、グランドナショナルに執念を燃やし続けたサラブレッドは見あたらないであろう。
グランドナショナルに、落馬のシーンはつきものとなっている。しかし1928年のグランドナショナルほど、この意味でセンセーションを巻き起こした年もないのではなかろうか。四十二頭のうち完走したのはただの二頭、勝利馬ティペラリーティムのオッズは100-1であった。
このため幸運を求めてか、翌1929年の出走馬は、六十六頭の多きを数えた。このレースを勝ったグレガラクも、やはり100-1の高配当となっている。 1956年のグランドナショナルにおける、エリザベス女王の母が所有するデヴォンロックの悲劇はもはや伝説となっている。ゴール寸前で一頭地を抜いていたデヴォンロックが突然倒れたのである。原因はいまだ不明という。
しかしフィルムを見るかざり、疲労のためか幻視症状をきたし、そこに〈幻の障害〉を見いだしたとしか僕には思えない。こうして皇太后の眼前でデボンロックは崩れ落ち、約束された勝利の栄光は瞬時のうちに破砕されてしまった。精巧なガラス細工にも似て、躍動と脆弱の同居するサラブレッドの悲哀は、ここにまた一つ新しい伝説をターフの世界に残したのであった。
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