ディープインパクト有馬記念ラストランと引退までの関係者裏話
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今だからいえるディープの弱点ジャパンカップでも最後方から豪快に伸びて勝ったディープだが、じつはひとつだけ弱点というか、特性がある。 それは並ばれると一緒に走ろうとすることだった。並ぶと隣の馬を気にしてヤル気をなくすというか、「一緒に行こうよ」とばかりに仲良く走ろうとする。だから後ろから行き、完全に相手を無視して一気に抜く、しかも抜き去るときに他馬が一緒に動いたらダメなのだ。
僕が最初にこの特性に気付いたのは、弥生賞だった。後方からスムーズに折り合ったディープは残り700mあたりから大外をまくって一気に先頭に出た。しかし最後に内でアドマイヤジャパンに粘られ着差はクビ。まさにこれがディープの唯一の特性、並ばれるとモロいという部分が出たレースだったと思う。
だから、もしディープが負けるならばディープと同じ位置から同じ脚を使ってきた馬がいた場合だろうな、と僕は考えていた。みんなは「ディープと同じ競馬ができる馬なんてそ ういない」と言うかもしれないが、2ハロン手前くらいから同じ脚を使える、並びかけてくるような馬がいたら危なかった気がするし、凱旋門賞はまさに、その特性を見抜かれていたかのような競馬になってしまったわけだ。
最高のクリスマスプレゼント
12万人ものファンが集結した12月24日の中山競馬場。ディープはあまりにもカッコよすぎる形で、みんなに最高のクリスマスイブをプレゼントしてくれた。
パドックではダービーのときのように、カメラマンの前で跳ねたりすることもなかった。レースも道中での折り合いは万全で、後方3番手から残り600メートル付近から徐々に進出、直線半ばで早々と抜け出し、ゴール前ではユタカ騎手が手綱を緩める圧勝、2着のポップロックとは3馬身差をつけた。4コーナーでの勢いはユタカ騎手も「今までにない飛びだった。こんな感覚は味わったことがない」と驚くほどのものだった。
僕はゴール前から泣いていた。2年間のプレッシャーからの解放、その2年間、我慢ばかりさせて申し訳なかったという気持ち、そして、ひたすらに前へ前へと突き進んでいく素直さ…。あの短い中山の直線でたくさんの想いと思い出が一気に僕の頭の中を駆け巡り、ゴールを過ぎたときには恥ずかしいくらいに大泣きしていた。
馬場までディープを迎えにいく途中でも、スタンドのたくさんのファンから「敏行さん、おめでとう。そしてお疲れさまでした」という声をかけてもらい、余計に泣けてしまった。 でも、そんな状態の僕にディープは、いつも通り平然とした顔を向けてきた。ただ、目を見ると「僕、今日もいい子だったでしょ」と言っているようで、それがとてもいじらしかった。
ユタカ騎手からも「敏行さん、ありがとうございました。そしてお疲れさま」という言葉をかけられ、嬉しいのと同時に、「もう僕が次のレースに向けてディープに教えることはないんだ」と、このとき改めて気付いた。
最強を証明するためのこだわり
このジャパンカップと有馬記念を通じて、僕たちがこだわったことがある。それは、一切の治療行為をしないということだった。フランスでの一件以来、僕たちは引退するまで獣医さんには一度も診せなかったし、注射一本打つことはなかったのだ。先生も少し頑固な気持ちになっていた部分もあるのかもしれないが、「馬は自然な状態で走らせるのが一番や。医者には一切見せなくてもいい、それで勝負しよう」と言っていた。 一流のスポーツ選手はマッサージなどのケアを丁寧に行っていきながら強くなるものだと思うし、現代のサラブレッドは多くの人々が工夫をすることで作り上げている。それらをすべて断ち、自分たちでやっていこうと決めていた。
だから、調教のあと筋肉が疲労していると感じたら、ふだんなら電気針や疲労回復の注射を打つ場面でも、市川さんが自らの手によって昔ながらのマッサージを施した。もちろん、あまりにもひどい症状が出て治療が必要であれば獣医さんにも診せなければならなかったのだろうが、よほど市川さんのケアが良かったのだろう。ディープの見た目はいつもと少しも変わらなかったと思う。
僕も調教にはかなりの気を遣った。メニュー自体はそれまでとほとんど変わらなかったし、レースに出るからには攻めていかなければならなかったのだが、そのままでは疲労が出たり筋肉を傷めてしまう。だから、追ったあとには多少軽く乗ったりして、できるだけ筋肉に疲労が残らない調教を心がけた。 このことは、僕らの自己満足だったかもしれない。しかし、どうしても自分たちの手だけで、ほかに頼らなくてもディープが本当に強い馬であることを証明したかったのだ。
すべてを払拭するジャパンカップの圧勝
そして迎えたジャパンカップ当日。パドックで騎乗したユタカ騎手は、今までにもそしてこれからも、見ることはないのではと思うくらいの緊張した表情だった。そこには、絶対に負けられないレースであると、彼も感じていることが十分に表れていた。
ゲートが開き、いつものように最後方に位置したディープは、直線で大外に持ち出し、前にいた10頭をゴボウ抜きして2馬身差の圧勝。ファンの気持ちと声が届いたのだろう。ダービー以来の東京の長い直線をディープが風に乗ってゴールした瞬間、僕もファンの一人として感動を抑えることができなかった。レースまでの2ヶ月間にあったいろいろなことを、ディープは何も知らなかったはずなのに、ひょっとしたら僕たちの複雑な思いを察していたのではないかというくらい、一生懸命に走ってくれたのだ。彼はそれくらい本当に素晴らしく賢い馬だから…。
この日も僕は、ディープが先頭でゴール板を駆け抜けた瞬間に泣いていた。年のせいで涙もろくなっているのもあるが、このときばかりはそれまでと違った嬉しさと感動だったのだ。
信じてくれてありがとう
とうぜん、ファンの支えも大きかった。この日は12万人ものファンが競馬場に詰め掛けていたそうだが、競馬場以外でもたくさんの方々に応援してもらっていた。ユタカ騎手も4コーナーを回るときにファンの声援が何よりも嬉しかったとレース後にコメントしていたが、僕も同じ気持ちだった。
あのような事件があったにもかかわらず、ファンが信じてくれていたことが何より嬉しかった。今になって、もしあの応援メールをジャパンカップの前に読んでいたら、プレッシャーに押しつぶされて胃潰瘍にでもなっていたのではないかというくらい、気持ちの込められたものばかりだった。
そういえば、薬物検出の報道が出る少し前、福岡県の中学生がいじめで命を絶ったというニュースを目にした。そのニュースでは、彼の遺書に「生まれかわったらディープインパクトの子供で最強になりたい」と書かれていたそうだ。
それを知ったとき、こんなに愛されている馬はいるだろうかと、それならば余計に勝たなければならないと、気を引き締めていた。だから勝ったときには、「きっと彼も天国でディープにパワーを与えてくれたんだろうな」と思わずにはいられなかっためこの忘れられないジャパンカップが終わってから、僕は「あともう一度だけ泣かせてくれるか」とディープにお願いしていた
ねがい
引退式はディープの現役生活を締めくくる最大のイベントだった。もちろん、引退式の心得などディープに教えたことはないし、いつもなら競馬で思う存分に走ってきたらおしまいだった。もう一度馬場に帰って、再びファンの待つスタンドに入場することなんて初めてのこと。そのせいか頭のいいディープは心なしか、引退式の間はプレッシャーを感じていたような…。おそらく、馬場に出ると思い切り走らなければならないと感じていたのだろう。馬場からスタンドに出てきたとき、僕とユタカ騎手と市川さんの第一声は「うわ、きれいやなぁ」だった。スタンドにはたくさんのファンが残ってくれていて、そのファンが焚くフラッシュの光が赤や黄色に光っていたからだ。まさにクリスマスのイルミネーションみたいにキラキラしていたのだ。 じつは引退式の最中も、僕は金子オーナーがディープの現役引退を撤回してくれるのではないかと思っていた。思っていたというより願っていたと言ったほうが正しいだろう。凱旋門賞の失格があって、スタッフ全員にいろいろな意味でリベンジしたいという思いがあった。
もし勝ち続ければもう一年現役を続けてくれるかもしれない、そんな気持ちで頑張っていた。 だから、周囲に最後と言われ続けた有馬記念も心のどこかでそうは思えない、信じたくない気持ちがあった。最後まで本当に退厩届や抹消届を出していいのかなとも考えていた。引退式が進んでも最後のオーナー挨拶のときに「やっぱり引退はやめます」なんてコメントが出るんじゃないか、あの場でもそんなことを思い描いていたのだ。
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