ディープインパクト凱旋門賞3着取消から禁止薬物の検出までの関係者裏話
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6000人と28.5%06年凱旋門賞、ロンシャン競馬場には歴史的快挙の瞬間を見届けようと詰めかけた日本人の数は、6000人。これは、当日の入場者の1割にあたる驚異的な数字である。ウインズ後楽園、ウインズ道頓堀、プラザエクウス渋谷の3カ所で行われたパブリックビューイング「2006凱旋門賞スペンャルLIVE」にも、約2000人が集まり歓声を送った。
また、テレビ中継番組(NHK総合)の平均視聴率は、関東地区で16.4%、関西地区で19.7%と、深夜のテレビ番組としては非常に高い視聴率を記録、瞬間最高視聴率は両地区ともレースが終わった午前零時37分で、関東が22.6%、関西が28.5%だった。
予想外のレース展開
凱旋門賞3着という結果は冷静に受け止めるべきだと思う。今、改めて敗因を考えてみると、ライバル陣営がディープを封じるための策を相当に練ってきていた気がする。フランスチームはディープの弱点を見抜いて、あの競馬をしてきたのかもしれない。僕たちはライバル馬の研究はほとんどしていなかった。それは日本のレースでも同じで、ディープらしい競馬ができれば勝てると思っていたからだ。だから、レースがスタートして、向正面で調教じゃないかというくらいの遅いペースに、「これでは掛かってしまう」と気が気じゃなかった。後ろから突付かれて囲まれてしまったのも厳しかった。こういう展開になると、直線でディープのいい脚を使えなくなるんじゃないかと不安になったし、やはりそのままズルズルと流れ込む競馬になってしまった。「もしラビットを使っていたら」なんて結果論だが、スタートからまったく想像しない展開になったのだ。
勝ったレイルリンクのファーブル厩舎の3頭出しは、ある意味、頭脳プレーだったと思う。 もちろん、海外遠征を経験した人たちにいろいろと教えてもらったり、美浦滞在中にはエルコンドルパサーで2着した蛯名騎手にも話を聞いて、海外の競馬はそれほど甘くないとわかってはいた。それでもディープの強さなら、どんなことになっても大文夫だという気持ちがどこかにあったと思う。
どんなスポーツにも言えるが、一流になればなるほどライバルの研究を重ね、どこかに弱点があるのではないかと対策を練るものだ。しかし、幸か不幸か日本ではみんながディープを応援してくれたことで、僕たちも安心していた部分があった気がする。まさに、ホームとアウェイの違いをまざまざと見せつけられた一戦だった。
初もの尽くしの調教
調教に関しても、やっぱり自分が未熟だったのだと思う。当時は完璧だと信じていたが、もっと経験豊富な人ならば違うやり方をしていたかもしれないし、何かもうひとつやふたつ足りない部分を見つけられたかもしれない。実際、2ヵ月間のフランス滞在は、調教したというよりも勉強したという思いが強いのも事実だ。
フランスでの調教の中で日本と一番違っていたのは、かなりの部分を任されていたこと。 栗東では先生が歩かせるところから、ダグ、常歩(なみあし)、キャンターまでの一部始終を見たうえで調教メニューを決めていたし、それが調教師の仕事なのだが、シャンティの調教コースは広大で、目の前を通り過ぎるわずか100m程度しか自分の目で確かめることができなかった。
これは、ヨーロッパと日本の調教に対する感覚の違いでもあった。ヨーロッパでは、時計を取って馬の調子を計るという習慣がないのだ。そんな状態だから時計も僕が乗りながら取るしかなく、あとから先生に「○秒でした」と報告していた。毎日の調教が終わると、先生から「敏行どうだ、仕上がっているか? どんな感じや?」と聞かれ、僕の取った時計とつかんだ感覚で「もう少し反応がほしいですね」などと報告、そして翌日のメニューを相談していく形を取らざるを得なかった。
僕もシャンティイでの調教は初めてで、それぞれのコースの特徴やかける時間にどれくらいの効果があるかわからず、まさに手探りでやるしかなかったのだ。 ただ、かなり仕上がった感触はあった。凱旋門賞の週の最終追い切りも芝でビッシリやったし、2ヶ月の調教の効果でディープの馬体は見違えるように筋肉のしっかりと付いた見事なものになっていた。 レース当日のバドックもみんなが素晴らしいと言ってくれたように、本当に完壁に仕上げられたと思っている‥
前哨戦は必要だったのか
また、前哨戦(フォア賞)を使わなかったことを敗因に挙げた人もいる。たしかに、今から考えればそう言うことはできるかもしれない。でも、僕としてはもしレースを使っていたら、あれだけ叩いて仕上げることはできなかったし、スクーリングでレースに近い経験ができた感触もあったのだ。
ロンシャンでのスクーリングは、輸送から始まって装鞍所からパドック、返し馬、そしてスタート地点で一度止まり、ゲートを出るような感じで追い切りをスタートさせ、3頭併せでゴールまで走らせた。パドックの周回数や装鞍所にいる時間に至るまで、すべての手順をフランスギャロに聞き、唯一ないのは観客だけというくらい本番と同じ段取りで行った。
併せ馬の時計も申し分ないものだったし、ディープもこのスクーリング終了後にはふだんレースを使ったあとのようなしぐさが出ていた。それに、気合いの乗り方からしても、レースが近いことを察知していたようだった。
皆さんに感謝
残念ながら勝つことはできなかったが、パリアス厩舎の調教師・スタッフの皆さんにはたくさんの協力をしてもらったし、この2ヶ月間、日本から来たディープを勝たせてあげたいという気持ちがすごく良く伝わってきた。また、帯同馬としてともにディープと過ごしてくれたピカレスクコートと池江泰寿調教師、そして担当の大久保助手にも感謝の気持ちでいっぱいだった。ディープにも「おつかれさん」と声をかけた。
レースが終わってからの僕は、それほど長い間落ち込んでもいなかった。競馬はそんなに簡単なものではないということを改めて感じさせられたが、自分なりの調教で仕上げていくという初めての経験も含め、あの2ヶ月間は本当に良い勉強になったなと、応援してくれた日本の皆さんの期待に応えることができなかったのはつらかったが、負けたからこそ次に向けてまた頑張りたいと思っていたのだ。それにこのときはまだ、来年もう一度挑戦したいという気持ちが何よりも強かったから。
禁止薬物の検出
10月19日、引退決定に追い討ちをかけるかのような出来事が襲う。禁止薬物が出たというフランスギャロからの報告だった。
それからの毎日がどれだけつらいものだったか、今思い出しても胸が苦しくなる。フランスギャロからは厳しい事情聴取をされた。レース当日の映像が残っていて、ロンシャンの厩舎に入ったところからレース後まですべてが映っているというのだが、ずっとそばにいた市川さんと僕は、そのときのことを洗いざらい質問された。「レース後に水を与えたときのバケツはどこから持ってきて、誰のものか」なんてことから、厩舎に着いてから行なった作業のすべてを説明しなければならなかった。
しかも市川さんとは一人ずつ別室で同じ時間に聴取されていた。どうやら話を摺り合わせないようにということらしく、待合室も別にされた。 マスコミにも追いかけられた。調教に向かうときには、検疫厩舎の前に競馬関係だけではなくワイドショー番組まで来ていて、「今、渦中の池江助手とディープインパクトが入ってきました」なんてレポートが耳に入ってくる。
競馬関係者も会う人ほぼ全員が「で、どうなの? やったの?」なんてストレートに聞いてくる。もう毎日毎回同じことばかり聞かれ続けて、ノイローゼになりそうだった。でもそのときは、調査段階でもあり話せることもない。
でも何も話さずにいたら後ろ暗いことがあるのでは、と思われるのもイヤで、挨拶だけは欠かさないようにしていた。東京競馬場から出ることもままならず、食事をするのにも不自由な毎日。マスコミは真実を伝えることが仕事なのはわかっているし、直接関わっているスタッフから何かしらコメントが取りたいと考えるのも仕方ないが、自分から言えることは何もなかったのだ。
僕たち以上に大変だったのは先生だ。僕は馬に乗っている間は追いかけられることもないが、先生はスタンドで調教をチェックしなければならない。とうぜん、そこにはマスコミが集まってくる。先生は禁止薬物検出が明らかになった後、騒動を避けるためにスタンドに行かなかった日があった。
しかしそれを「池江調教師は東京競馬場にいるのに姿を見せない」と報じられた。それを見た先生は、「何も悪いことはしていない。オレは明日から行く」と言って、翌日からスタンドに行くようになった。案の定、マスコミに囲まれていたようで、何を聞かれたのか僕たちには言わなかったが、かなりきつかったと思う。それでも先生は、堂々としていたようだけど。
あのとき先生は僕に「敏行、オレ辞めようかな、そういう覚悟だから」と言ったことがある。やっぱり厩舎の経営者としての責任を感じていて、競馬会がどういう判断を下すかはわからないが覚悟はできていたようだった。僕も相当つらかったが、やはり一番つらい思いをしていたのは先生だった。すっかり老け込んだように見えたし、部屋が隣同士だったのでちょくちょく僕の部屋をノックしては、「敏行、寝たか? 休んだか?」と尋ねてきた。
そして僕が「いや、テレビ見てますよ」と答えると、いろいろ話しかけてくるのだ。先生とは30年の付き合いになるが、あんなに元気のない先生を見たのは初めてだった。 ある晩、僕が厩舎に降りていくと、誰かの話し声が聞こえた。声の主は先生だった。先生はディープに「お前が悪いんじゃないのに…。ごめんなぁ」と話しかけている。誰もいない厩舎で一人ディープに謝る先生を見て、僕はこみ上げるものを抑えることができなかった。
フランスギャロの裁定
最終的にフランスギャロからは凱旋門賞3着を取り消され、先生には制裁金が科せられた。 先生の説明には「薬が飛び散って馬房内の敷料、馬房前にあった乾草に付着した」とあったが、調教と同じでフランスでは馬の世話に関しても異なる部分が多かった。
そのひとつが敷料、乾草の扱いだ。日本ではボロを拾ってから表に出して干し、戻したときに足りない場合は足すというのが日課ともいえる習慣だが、フランスは1週間に一度、担当者がすべてを出して捨てる、総取り替えだった。だから他の日はボロを拾うだけ。合理的とも大雑把とも取れる気がするが、とにかく日本とはやり方が違っていた。
この件では、先生もオーナーもスタッフの誰一人として責めなかったが、ファンの皆さん には迷惑をかけたと思っている。 だけどこれだけはわかってほしい。誰よりもやってはいけないことなのはスタッフが一番よくわかっているし、だいたいそんな恐ろしいことをあの最高の舞台で、スタッフがやるは ずもできるはずもない。先生も言っていたが、ドーピング疑惑や不正使用はない。僕たちは ディープとディープファンを悲しませるようなことは一切していない。これは今でも胸を張って言える。
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