ディープインパクトのデビュー戦からGI挑戦までの関係者裏話
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優等生ディープ、新馬戦へ新馬戦に向けて、僕はレースで必要なことをディープに教え込んでいった。とにかくディープは賢くて、毎日の調教で次々と新しいことを覚えていく。「騎手がゴー・サインを出すまで待つこと」「馬群が開いたら前に行くこと」など、新馬に必要な基本的なことを次々と吸収していった。というか、勘がいいディープには教えるまでもないことも多々あったほどだった。
抜群のセンスを発揮するこの馬に、池江先生の期待も高まっていった。そこで、1戦目からスムーズな勝ちが収められるよう、万全を期したデビューをさせるため、12月の新馬戦まで、じっくりと育てていくことになったのだ。
そして、新馬戦当日。04年12月19日阪神競馬場、芝2000メートル。いつも通りの時計で走ってくれれば勝てるだろうぐらいの自信はあった。もちろん、レースを体験したことのない新馬ばかりが走るのだから、何が起こってもおかしくはない。それでも、きっと大丈夫。そう思って、コースにディープを送り出した。
レースは前半1000メートルの通過タイムが66秒0という超スローペースだった。ディープはその中を引っかかることもなく進む。そして、直線で仕掛けられると、そのまま抜け出し、アッという間に他馬を追い抜いていく。 しかも、最後は流してゴールする余裕があった。2着のコンゴウリキシオーとの差は4馬身、勝ち時計は2分3秒8、上がり3ハロン33秒1。
正直なところ、ここまでの勝ち方をするとは思ってもいなかった。むしろ、後々のことを考えれば、派手に勝ってくれる必要はないぐらいの気持ちだ。 レースを終え、戻ってきたユタカ騎手の第声は「敏行さん、派手にやってしもうたわ」だった。僕は「何か問題はなかった?」と聞いてみた。これは僕の習慣で、レース後は必ず騎乗したジョッキーにレース中の様子を聞くことにしている。そのときの言葉を参考に今後の調教方針を決めるためだ。
このときユタカ騎手が言ったのは、「手前を替えない」ということだった。それを聞いて、僕は「どうして?」と思った。なぜなら、手前を替える練習は、トレセンで散々やってきたことだったからだ。
レース中に手前を替えるのは、馬が疲れないようにと考えてのこと。例えば、右回りの阪神競馬場なら、スタートしてからは、たいてい右手前で走る。そのまま直線に入ると、疲れて動きが鈍るから直線に入る前に左手前に替えて走った方が通常は有利なのだ。
ディープはこの練習も難なくこなし、問題らしき点はまったく見当たらなかったのに…。 これに対するユタカ騎手の答えは単純。「この馬にとって、レースが楽だから」というものだった。「苦しいと感じたら勝手に替えるだろうから、気にしなくてもいい」と言う。武豊が言うのなら間違いないだろう。そう考えて、僕は「これまで通りの調教をしていこう」と決めた。
若駒ステークスでの衝撃
スタッフの予想を超えた新馬戦は、当然トレセン関係者の間で評判となった。
「未来のダービー馬誕生だね」
何度、こう声をかけられたか分からない。僕だってほかの厩舎に強い勝ち方をした馬がいれば、担当の助手さんや厩務員さんに、「クラシック行けるんじゃない?」ぐらいのことは言う。でも、1勝したぐらいで、そんなことを考える当事者はいない。なぜなら、「これは」と思った期待の1頭に、散々裏切られてきたからだ。このときの僕も「まぁ、先々が楽しみな馬が出たな」といった程度だった。浮かれるには、まだ早すぎる。 ディープはそんなことは知らず、相変わらず元気に調教をこなしていた。よく1回レースに出て競馬を知った馬は、テンションが上がって落ち着きがなくなると言われるが、ディープの場合は、そんな心配はいらなかった。
そして、迎えた2戦目の若駒ステークス(1月22日・芝2000メートル・京都競馬場)。 レースは先頭をテイエムヒントベと、同じ池江厩舎のケイアイヘネシーが飛ばしていく展開。向正面に入ると、この2頭と3番手以下の馬との差は10馬身以上にもなった。4コーナー付近になっても、その差はあまり変わらない。
しかし、この届くはずのない距離をディープがグイグイと縮めてきたのだ。馬なりのまま、1完歩ごとに前との差を詰めていく。そして、ケイアイを捕らえると、5馬身の差を付けてゴールした。 ケイアイにとって、勝ちパターンの競馬のはずだった。しかし、それをものともせず、たった1戦のキャリアしかない馬が差し切ったのだ。スタンドからざわめきが聞こえた。みんな驚いているのだ。僕もビックリしていた。「たいした馬や」そう思った。
天才少年の弱点
デビューからのレースを3連勝したことで、小さなディープインパクトが大きな注目を集めることになった。次の目標は皐月賞だ。前走の弥生賞を見て、中には「ディープが負けるなら皐月賞だ」と言う人もいた。それは、中山競馬場がトリッキーなコースなうえに直線が短く、ディープのように末脚を活かすタイプの馬には向かないと見られていたからだ。皐月賞に向けて、池江先生から言われていたのは、「怪我をさせないように」ということだった。たしかに、競走馬にとって一生に一度しかないクラシックを前に、人間の不注意で怪我をさせ、出走できなかったら元も子もない。
調教は順調で、とくに心配するようなことはなかったが、強いて言えばゲートの問題があった。若駒ステークスも弥生賞も、お世辞にも上手に出たとは言い難い。 ゲートのタイミングは馬が持って生まれたセンスに左右される。人間にもタイミングを計るのが上手い人と、苦手な人がいるのと同じだ。それで区別するなら、ディープはあきらかにセンスがないグループに入る。
だから、本番直前までゲート練習を行っていた。坂路下にあるゲートに入れ、まずは中で駐立させる。これは問題ない。そして、僕が「ガシャーン!」と言ったのを合図に、ポポポンと10メートルほど軽く走らせてみるのだ。しかし、残念なことに、どんなに練習してもディープはゲートが上手くなることはなかった。
まぁ、顔がジャニーズ系でスポーツ万能で頭がいいのだから、ゲートが昔手なぐらいはご愛敬だと思うほかはない。なかばあきらめつつも、「センスないな…」とため息が出た。だからといって、池江先生もあきらめたというわけではない。
実はこのゲート練習はディープが引退する06年の有馬記念まで継続して行われていたのだ。池江流調教の場合、これは特別なことではない。レース間隔の空いた馬は、ゲートのタイミングを忘れている可能性があるということで、レース前には多くの馬にゲート練習をさせるのだ。まぁ、何度も言うようにディープはまったくといっていいほど、うまくならなかったけど…。
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