知っているようで意外に知らない競馬の知識
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競馬読んで字のごとく、馬が競うこと。といっても、馬が知力、精力、努力を競ってどうこうなるものではなく、もっぱら競走能力が問われる。人類初の競馬は、古代ギリシャのホメロスの時代にまでさかのぼることができる。ただし、当時の競馬は映画「ベン・ハー」に出てくるような戦車競走で、ホメロスの『イリアス』(第二十三書)によると、当時の観戦者はこの競馬に賭け合っていた。ちなみに、一着賞品は生きた美女。現在の資金、トロフィーの類より、よほど気がきいている。生ツバ、ゴクンだ。
競馬ファン
勝つとおしゃべり、負けると無口になる人のこと。忍耐強く、お人好しであるのを特徴とする。一言でいうと、善人。これだけ競馬が盛んな日本で、「競馬ファン」の代わりになることばが見あたらないのはどうしてだろう。英語では、いろんな言い方がある。群がる習性があるせいか、鳥にたとえられて「アーリー・バード」(早起き鳥)とは、「早朝の調教を見に行くほど熱道なファン」という意味で、これは日本語にも「競馬狂」というのがある。
サラブレッド
①ウマのこと。ただし、奇蹄ロウマ科の中で最大の速力を有し、競走に供されるのを本分とする。「サラブレッド」とは、「徹底的に改良された」の意。数百頭に及ぶ優秀なアラブ種牡馬が英国に輸入された。これと英国在来の牝馬が交配され、数世代にわたって洵汰改良される過程で品種として固定されたもの。 ②御曹司のこと。「あの人、サラブレッドよ」などと使う。使い方を誤ると皮肉になる。『オックスフォード大英辞典』によると、サラブレッドということばが初めて活字になったのは1796年のことだとある。しかし、競馬史家の調査によると、1761年にロンドンのオズマーという獣医師が発表した「馬に関する一考察」という論文に、すでにこの語が見られ、これが「サラブレッド」の初出だとされる。
当歳
生まれた年のゼロ歳の仔馬のこと。英語圏では、当歳のうち離乳前と離乳後で区別することがある。年が明けると当歳馬から一歳馬となり、もう一年たつと二歳馬となる。以上は光半球の話で、南半球のオーストラリア、ニュージーランド、南アフリカでは八月一日を競走年度の開始日としているため、馬は十月から十一月に生まれ、翌年八月一日をもって一歳馬となる。ただし南米は7月1日で加齢する。
古馬
日本では四歳以降の競走馬、ないしは二歳馬がデビューする夏以降の二歳以上の馬を指す。コバとも、フルウマとも読む。 「ホース」をいつも「馬」と訳していると、わけが分からなくなる。
肌馬
繁殖牝馬のこと。肌馬は産駒を産んで母馬となる。英語でプロデューサーというが、もちろん映画とは関係がない。「産出する者」という、英語に特有の露骨な表現である。
当て馬
牡馬は出せすると種牡馬となり、産駒の父馬となる。 しかし、出世が中途半端だったり、種牲馬失格の烙印を押されると、当て馬に成り下がる。 これは繁殖牝馬の発情具合を調べるときに使われる牡馬のことで、正式には試情馬という。 これほど悲しい仕事はない。
きょうだい
サラブレッドでいう兄弟、姉妹とは、同じ母馬から生まれるものだけをいう。そのうち父馬も同じ(つまり両親が同じ)場合を全兄弟といい、母馬だけ同じものを半兄弟という。種牡馬は年に何十頭と産駒を出すため、それをすべて兄弟と呼んでいたらラチがあかない。もちろん人と違って、同じ肌馬のお相手をしても「兄弟」とはいわない。馬にマル暴はいないから、義兄弟もいない。
片キン
キンちゃんが一つしかない牡馬のこと。これは去勢手術で片方だけ残すものと、先天的なものとある。一九八一年のワシントンDCインダーナショナルを勝ったプロヴィデンシャルが片キンだという話だ。キンちゃん一つでも、種牡馬としてちゃんとやっていける。
せん馬
片キンがもう一歩進んで、キンちゃんゼロになるのがせん馬である。日本にはあまりいないが、欧米では馬格の発逹をうながす目的でせん馬にする例が珍しくない。英語でも去勢馬といういい方はあまりせず、このことばを理解できない英米人が少なくない。
フケ
牝馬の発情のこと。「フケが来ている」という。
馬っけ
牡馬の発情のこと。パドックで馬っけを出して(ということは逸物をぶらぶらさせて)、ファンに笑われる気の毒な馬もいる。
おてんてん
おつむがちょっとイカレた馬のことを、厩舎用語でこういう。パープリン。
重の鬼
重馬場を得意とする馬のこと。それがどうしてオニなのか、凡人の理解を超えるが、日本特有のおもしろい表現だ。
馬場状態
日本では馬場の含水量に応じて四種類に区分されるが、英米はもっとキメが細かい。
ぱんぱん
乾ききった状態の馬場のことで、「ばんばんの良」などという。
毛色
サラブレッドの毛色は、メンデルの「独立」「優性」「分離」の二法則によって遺伝することが知られている。たとえば、栗毛の両親からは栗毛の馬しか生まれてこない。栗毛×鹿毛、果毛×青毛、鹿毛×鹿毛、鹿毛×青毛の組み合わせからは、栗毛、青毛、鹿毛いずれも生まれるが、青毛×青毛からは栗毛か青毛しか生まれない。芦毛の馬は、少なくとも両親のどちらか一頭が芦毛でないと生まれてこない。 サラブレッドの血統登録を行う日本軽種馬登録協会では、鹿毛ごく、栗毛、栃栗毛鮎、黒鹿毛、青鹿毛、青毛、芦毛と分類しているが、一九七九年に黒鹿毛ロングエースと栗毛ホマレブルの間に、どうしても生まれるはずのない白馬が誕生して大騒ぎになった。この白馬、ハクダイユーは科学鑑定で突然変異の白毛と認定され、三歳時に二戦未勝利のまま光海道沙流郡平取町の義経神社に神馬として迎えられた。
血統の袋小路
サラブレッドは三世紀に及ぶ血統の選抜改良を通して、競走能力を絶えず向上させてきた。ところが、一九七〇年代以降、特に八〇年代に入って、ノーザンダンサーというカナダ生まれのアメリカの種牡馬が、世界各地でセンセーショナルな成功を収め、サラブレッドの血統地図を塗り替えてしまった。 ノーザンダンサーの仔や孫が世界中の牧場に溢れ、このままでは血の停滞を招きかねないと、一部で強く懸念する声が上がっている。優秀な新しい血を見つけてこないと、サラブレッドの血統は袋小路に迷い込んでしまうというのだ。ただしこれは、ノーザンダンサーの血を牧場に集めすぎた人の、ぜいたくな悩みである可能性が強い。血の流れとは、もっとダイナミックなものだからだ。
グレード競走
重賞レースのこと。日本では一九八四年に制定され、欧米にならってGIからGⅢまで重賞が格づけされた。一九七一年、まず英、仏、アイルランドの二か国が「パダーン競走」の名のもとに賞金が高く重要視されているレースの体系づけを行い、これをグループⅠ、Ⅱ、Ⅲと区分した。セ三年からは西ドイツ、イタリアも加わり、これをヒントに同じ七二年、アメリカでも上級レースを選定してGIからGⅢまでの格づけを行った。ただし、グループではなくグレード(等級)と称し、日本はアメリカの呼び名が採用された。
キング・オブ・スポーツ
「スポーツの王様」とは、ほかならぬ競馬のこと。アメリカで焼馬主催者が、競馬のキャッチフレーズとして用いたのが最初。日本に伝わり、このことばはむしろ日本で有名になった。
JRA
日本中央競馬会のこと。英語の頭文字を取ったもので、WINS (場外)と並んで使われるようになった。それ以前はNCK 2一38 と略称されていた。
寺山修司
現代日本最大のターフ・ライター。詩人、劇作家ともいわれる。「競馬ファンは馬券を買わない。財布の底をはたいて″自分″を買っているのである」「人生はたかが一レースの競馬だ」など多数の作品を残して没した。
勝馬投票
「馬券」はいわゆる俗語で、法律用語では勝馬投票券という。馬券を買う行為が勝馬投票で、「早く投票を済ませて下さい」などと、場内アナウンスで放送される。選挙に出かける気分である。「馬券」では生臭すぎて「勝馬投票」としたのだろうが、官製語には生活感がないから、「ちょっと投票に行ってくる」とは誰もいわない。 それに馬券には勝馬を当てる単勝式のほか、三着までに入ればいい複勝式、最も人気のある連勝複式とあって、これをすべて「勝馬投票」で片づけるには、ことばの上でも矛盾がある。馬券が三種類しかないのは日本くらいのもので、欧米では連勝単式、二連勝(指定ニレースの勝馬を当てる)、二連勝(一~二着を当てる、着順どおりと着順は問わないものがある)、六連勝(六レースの勝馬を当てる)など、さまざまな馬券がある。
枠制
日本の枠番連勝複式馬券がこれ。何頭出走しようと、最大八枠でくくるというのは、世界に例をみない日本式ルールで、外国人の理解をほとんど超越している。諸外国では一頭一枠が原則で、わずかにアメリカで一つの枠に複数の馬が同居するフィールド制が見られる程度。これは十二頭以上の出走馬がある場合、主催者側の判断で実力上位と見なされた十一頭を単枠とし、あとは何頭いようと馬券上は一つの枠とし、最大十二頭立てとして扱うものである。日本の八枠連複は、それまでの六枠制と併行して一九六三年四月から発売され、またたく間にドル箱馬券となった(六枠制は一九六九年秋に廃止された)。八枠制のため「ゾロ目」(①―①、②―②などの揃い目)、「代用品」(同枠の人気薄の方が連複にからむこと)という、これも日本独特のことばが日常的に使われており、なかには「代用品がないと寂しい」というファンもいる。 しかし八枠制は「同枠取消」(同じ枠の人気馬が発走直前に取消しても、その枠がらみの連複馬券は買い替えが許されず、騒動の原因となる)という難問をかかえている。これを解決するには、JRAの単枠指定レースや地方競馬の友引き制度(同枠の一頭が出走を取消すと、残る一頭も自動的に取消しとなる規則)では無理で、八枠制を改め、一頭一枠制にする以外に手はない。
帽色(枠色)
日本の競馬は八枠制で、枠ごとに騎手のかぶる帽子の色が決まっている。一枠から順に白、黒、赤、青、黄、緑、橙、桃の八色。これは一九六六年十二月九日付で決定されたもの。昔は諸外国と同様、馬主が異なれば帽色も異なっていたが、JRAは六枠連勝式時代の一九二七年に、一枠から白、赤、青、緑、黄、水色と、六枠までの帽色を固定させ、八枠制開始の六三年四月一日付で七枠茶、八枠黒を追加した。最後にやっと黒が加わったのは、勝負事に黒は縁起が恙いということで、反対する人がいたためらしい。それから三年後、地方競馬側と協議して、現行の帽色に落ち着いた。茶、水色が消えて地方競馬で使われていた橙、桃色が加わり、この問題に白黒がついたが、考えてみれば服色とのコーディネートを無視して帽色が決められているわけで、かなり強引である。
オッズ
欲望行きの電車のこと。あるいは、その中に希望と絶望、夢と不安、バラ色と灰色がないまぜになっているもの。「概算賭率」とも訳される。もともと英国のブックメイカーと不可分のことばで、固定賭率のこと。つまり、いつの時点で賭けても、その時々の賭率で払い戻されるのが本来のオッズで、時々刻々と変化していく日本のオッズとは趣がかなり異なっている。 いずれにせよ、人間の欲と金がからんでいるところは同じで、ここにはロマンもなければ人情もない。
払戻金
オッズを見て馬券を買い、それが的中して払戻金を受け取るのは競馬ファン無上の喜び、快惑である。競馬は決してロマンではないな、と実感する瞬間でもある。払戻金は欲望行き最終電車の終点。これに乗り遅れる人が非常に多い。 日本の単勝式、連勝式(枠逹、馬逹、馬単、3連複、3連単)の払戻金は(総発売枚数の計算式で簡単に求めることができる。二着払い複勝とワイドは(非的十枚数÷的十枚数×二四・六十八三・八)である。二着払いの複勝は右の定数二四・六を二六・九に変えるだけでいい。以上は控除率25%に対応した計算式であり、払戻率が5%上乗せされた現在の単勝、複勝は、右の計算式の答えを一・〇五倍した値が払戻金となる。 またJRAの競馬は二〇〇八年から、払戻額が売上総額を上回らない範囲で、元返しがなくなった。計算上は、投票率が九〇.九% (複勝、ワイドは約七〇%)を超すと元返しになる。アメリカではいかなる場合も主催者が損を引き受けて、日本式にいって最低百五円か百十円の払戻金をつける規則になっている(ただし、少頭数立てで持ち出しが巨額になりそうなときは、そのレースの単勝や複勝の馬券発売を停止することもある)。 当たった馬券は思ったより安い。不思議だが、これは競馬ファンの誰もが経験することだ。馬券は、ふつう予想紙の人気に従って売れていく。しかし、的中する馬券はなぜか子想紙の人気より売れていることが多く、それで配当が「思ったほどつかない」ことになる。 この、マスコミ人気を超えて売れるのが「過剰投票」である。一戸秀樹著『競馬データこれが欲しかった』(一九八五年祥伝社刊)で広く知られるようになったが、このことば、あるいはこれに類することばは昔から知られていて、たとえば利光孝憲著『オッズの謎』(一九七七年二恙書房刊)では、「異常投票」がテーマにされ、これを見つけ出す方法が詳しく述べられている。「過剰投票」あるいは「異常投票」は、厩舎の思惑、狙い、雰囲気、つまり信頼度の高い厩舎情報が、その出発点にあるといわれている。
ウインズ
競馬場内に対する競馬場外の馬券発売所のこと。通称「場外」として長く親しまれてきたが、JRAは一九八七年、これを「ウインズ」と改称、イメージアップに努めている。国電をE電と改めたJRといい勝負か。二年後、十年後の「ウインズ」の運命が注目される。 「場外」に馬券を買いに行って勝って帰る人はどのくらいか。おそらく八割方、すなわち大半は負けて帰るものと思われる。その場外をウインズ(勝利、儲け)というのは、ことばの自己矛盾以外の何ものでもない。もっとも、「勝って帰りなさい」というJRAの親だと、善意に解釈する手もある。どちらでもご自由に。
オフト
地方競馬(大井競馬場) の場外馬券発売所のこと。 一九八七年にofft後楽園が開設 された。
もちつき競馬
日本人の想像力の乏しさに貧しさを示すことば。毎年十二月の競馬を称してこういう。どこの厩舎も年末に稼いでいい正月を迎えたいというわけで、どこにこんなたくさんの馬がいたのかと思うくらいの多頭数レースが続く。そのあわただしさが、もちつきの忙しさとダブって生まれたことばらしい。年末になると、 いつもこういう帳尻合わせの競馬が行われるのは、後進性の現われとしか思えない。日本はやっぱりアジアだなあ、と痛感させられる次第。
ダラレバ
もう少し前に行っていたら、四コーナーで内をついていれば、とはレース後の言い訳。 欧米では、レースの敗因は千もあるといわれている。数年前、アメリカでレース中にカモメが先頭を行く馬にぶつかってひるんだため二着に敗れたとき、「千一番目の敗因が見つかった」といわれた。
予想
競馬予想の難しさは万国共通。予想は下から読むとウソヨとなるが、それくらい当たらない。
千二つ
「厩舎人のいうことは、千に二つも当たらない」という喩え。「情報信ずべし、しかもまた信ずべからず」と、菊池寛もいっている(『日本競馬読本』一九二六年モダン日本社刊)。
穴をあける
高配当のことをなぜ穴をいうのか、どうして「山を築く」ではいけないのか、よくわからないが、危険な香りがして恙くない。
やけど
身分を考えないで馬券を買うこと。「お馬で人生アウト」と言って中山競馬場のトイレで自殺した人がいる。
正夢
競馬ファンはよく夢を見る。競馬の夢を見て、そのとおりに買っても大抵はずれるが、まれに的中することがある。映画「ラベンダー・ヒル・モッブ」で一九二二年のアカデミー脚本賞を受賞したT・E ・B ・クラータは、十五歳のとき、「ダービーの結果」という見出しが出ている新聞の夢を見た。勝馬はマンナという名前だった。二年後の一九二五年、そのマンナという名前の馬が英国ダービーに走るのを知り、彼は二週間分の給料をマンナの単勝に賭けた。マンナは十倍のオッズで見事に優勝した。「正夢を見たい」とは、競馬ファンが最後にかかる病気である。
レース展開
レースの流れのこと。前半のペースが速ければ追い込み馬有利、遅ければ逃げ馬有利になることが多く、勝馬検討の重要なファクターとしてもてはやされている。これは日本の競馬がペース一つでごまかしのきく、底力を要求されないレースになることが多いためであり、スピードの絶対値と実力だけが頼りの諸外国では、日本ほど話題にされていない
脚質
これも日本人が好んで使うことば。「逃げ」「先行」「差し」「追い込み」の四つが基本だが、なかには「先行差し」「好位差し」と、さらに細分する人もいる。これとは別に「自在」という言葉を重」宝する人もいて、「逃げ差し、自在」などと書かれる。強い馬の「自在」はカッコいいが、下級馬が「自在」といっても迫力がない。また勝ったことがなく、いつも後方のまま負けている馬が「追い込み」と書かれていると、普笑を誘われる。欧米人はもっと大ざっぱで、脚質といっても、先行馬と追い込みが話題になるくらいだ。
脚いろ
これも日本人がよく使う。脚勢のこと。「脚いろがいい」などというが、これは日本人の美的センスがつくらせたことばで、これにぴったりの表現は英語にはなさそうだ。
末脚
ゴール前の脚いろ。「末脚が武器」「確かな末脚」などという。「展開不向き」で「末脚不発」に終わる馬が多い。近代競馬は「末脚に賭ける」より「先に行ける馬」を買うのが鉄則。
ジリ脚
「ジリジリと差してくる脚質」といえば聞こえはいいが、実際には先に行ってかわされ、後ろから行って届かずの万年入着候補。長距離馬が中距離を走らされると、こうなる。
速い脚
切れ味鋭い脚のこと。「一瞬の脚」とも言う。ニジンスキーの速い脚は有名。
加速
これは欧米でよく使われることばで、ほんとの一流馬にのみ神が与えた最大の武器。加速に優れた馬は、あっという間に抜け出して大差勝ちをする。ミルリーフ、セクレタリアトなど。
カンカン泣き
カンカン(看貫)とは、負担重量のこと。「あの馬は五八キロを越すと走らない」などというとき、このことばが贈呈される。大柄な馬がカンカン泣きすると、けっこうみっともない。ただし、いくら重量に強くても「カンカン笑い」とはいわない。
未勝利を脱する
「メイドンをブレークする」とはどういうことか。欧米人は直接話法で、どうもはにかみを知らないらしい。
同着
最近ようやく、デッドヒートは同着のことだと広く理解されるようになってきた。諸外国では、一着同着は三分の一勝と数えられることが多い(日本でも、そのように数える)。
降着
進路妨害のペナルティーを取られると、日本では完全失格となるが、欧米では原則として妨害を受けた馬の次位へ着順を下げられるだけで済む。これが降着制。
審議ランプ
進路妨害があったときに点灯する。日本でなぜこれが「安全、進め」の青ランプで、レース確定のランプが「危険、止まれ」の赤なのか、誰にも分からない。
カンパイ
フライングをすること。転じて「発走やり直し」の意味で使われる。一九七八年秋の天皇賞がカンパイとなって、再スタートの結果、テンメイが優勝した。日本の競馬黎明期の根岸競馬で、外国人の発走係員がフライングした馬を呼び寄せるさい、「カムバック(戻れ)」と叫んだのを聞き間違えたのが語源だといわれる。日本人の音感の恙さを証明することば。「カンバイ」とも書かれる。
ペースメイカー
レース先導役のこと。日本では「レースの主導権を取って逃げる馬」の意味で使われるが、もともと同厩舎の有力馬援護役として、玉砕覚悟で逃げる馬のことを指す。有力馬が差し、追い込み脚質のとき、スローペースになって先行有利な流れになるのを嫌い、厩舎作戦としてペースメイカーを出走させるもの。競輪の「トップ引き」に似ているが、フランスなどでは、実力がはっきりしない二歳戦などで、稀にペースメイカーがそのまま逃げ切ることもある
上がリニハロン
レース最後の六〇〇メートルのこと。日本では、このタイムが重要視され、場内の電光掲示板にも表示される。「三分二厘」も同じ意味で使われるが、少々古風(ただし、これはもともと六〇〇ではなく、ゴール手前六六〇メートルのこと)。欧米では、ふつうタイムはニハロンごとに計測され、上がリニハロンや四ハロンはあっても、上がり三ハロンはあまり問題にされない。
テレビ馬
レースのスタート直後にしゃにむに先頭に立って逃げる馬のこと。テレビに映りたくてそうしているように見えるため、この言葉が生まれた。適当な英語が見当たらないが、意訳して「ビル・デーリー」がこれに近い。一九世紀末から二〇世紀初めのアメリカにビル・デーリーという調教師がいて、レースに勝つには逃げるに限ると、管理馬すべてに逃げる作戦をとらせていた。そこから、「ビル・デーリー」といえば「とにかく逃げる馬」を意味するようになったもの。
死重と活重
負担重量に合わせるため、騎手は自分の体重では足りない分を鉛で調整する。これを「死重で乗る」といい、自分の体重だけでちょうど規定重量と一致する場合を「活重で乗る」と称する。どちらが有利か、アメリカで論争になったが、世界最多勝騎手であるウィリー・シューメイカーのひと言で決着がついた。いわく「死重も活重も同じである」と。名人のいうことには含音がある。
攻め馬大将
はた迷惑な馬のこと。調教では抜群の動きを見せるのに、レースになるとからきしダメな馬。日本には「調教横綱」「ブルペンエース」など同種のことばは少なくない。
引っかかる
騎手の手の内に入るのを拒んで、先へ先へと行きたがること。「すぐ引っかかる」といっても、ナンパとは関係ない。
直線に向く
最終コーナーを廻って直線に向くと、ゴールまであと少ししかない。
おいでおいで
ニ着が見えないような余裕の勝利のときに使うことば。
アラアラ
ゴール前で一杯になる(余力がなくなる)こと。「脚がない」ともいう。
まくる
最終コーナーで一気に進出すること。もともと競輪用語。
八百長
八百屋の長兵衛さんはいなくても、レースを仕組む不届き者があとを絶たない。
世界の大レース
話題性、国際性、そしてもちろん出走馬の水準を考えて、世界十大レースを選んでみた。
ダービー(英)
世界で最も有名なレースがこれ。今や世界中を席巻し、競輪、競艇にまでダービーがある。英国で季節がいちばんいいのは六月。その新緑の六月第一水曜日、ロンドン郊外のエプソムで行われる。牡牝二歳馬、芝二四〇〇メートル。最初の一、二〇〇メートルで高低差四五メートルの急坂を登る難コースだ。ダービー・レコードは二分二十三秒五分の四(一九二六年のマームード)。一七八〇年、第十二代ダービー伯爵によって創設され、以降一度の中止もない。毎年の観衆二十万人前後。これも世界一だ。
凱旋門賞(仏)
第一次世界大戦が終わって二年目の一九二〇年、「ドイツに対する戦勝を記念し、同時に地上に現れる故意を追い払う」ことを願って創設された。パリのロンシャン競馬場で、十月第一日曜日に行われる。牡牝二歳以上による芝二四〇〇メートル。いまや「勝つのが世界一難しいレース」(英国の競馬評論家)である。競馬場も近代的で美しい。
キングジョージⅥ&クイーンエリザベスS (英)
大英博覧会から百周年の一九五一年、記念行事の一つとしてアスコット競馬場に創設された。ダービー、凱旋門賞と並び、欧州三大レースの一角をとめる。三歳以上、芝二四〇〇メートル。アスコットは二室所有の秀麗な競馬場で、レース当日は女王陛下が臨席され、勝利馬主に賞杯を授与する。
グランドナショナル大障害(英)
世界最大の障害レースとして有名。リバプール郊外のエイントリー競馬場で、毎年二月末か四月初めに行われる。六歳以上、芝7200メートル。障害数は延べ三十。日本の障害エフジノオーが一九六六年に挑戦したが、飛越拒否で完走できなかった。第一回は一九二九年。 一見の価値あるスペクタクルだ。
ケンタッキー・ダービー(米)
南光戦争終結から十年後の一八七ニ年、ケンタッキー州ルイヴィルのチャーチルダウンズ競馬場は開場を祝して、英国ダービーに範をとった二歳馬のレースを行った。これが今日、アメリカで最も有名なケンタッキー・ダービーである。二月第一土曜日にダートニ○○○メートルで争われる。内馬場に人が溢れ、祝祭模様の賑わいとなる。
ブリーダーズカップ・クラシック(米)
一九八四年創設のブリーダーズカップ・シリーズにおけるメイン競走がこれ。世界最高賞金レースとして知られる(一九八七年の一着賞金は百三十五万ドル= 一億七千万円)。ケンタッキーの牧場主J・ゲインズ民の発案で生まれた。三歳以上、ダートニ○○○メートル。十一月初めに行われ、開催場所は持ち回りで決められる。
アーリントン・ミリオン(米)
一九八一年、当時としては破格の賞金総額百万ドルレース(三歳以上)として創設された。「ミリオン」という競走名は、この百万ドルに由来する。欧州馬の参戦を促すため芝レースで、距離も国際競走としては異色の二○○○メートル(ふつう二四〇〇メートル)とし、時期もうまく選んでビッグレースのない八月末か九月初めとした。シカゴ郊外のアーリントン・パークを本拠地とする。
ワシントンDCインターナショナル(米)
国際競馬の草分けで、長い間、日本人あこがれのレースだった。一九二二年創設。メリーランド州ローレル競馬場の二歳以上、芝二四〇〇メートル戦だったが、競馬場所有者がJ・シャピロ民からド・フランシス民に移って、一九八六年から距離二○○○メートル、完全招待制から最大三頭招待制へと方向転換した。施行日は十月から十一月にかけて
メルボルン・カップ(蒙)
かつて英国の『ブリタニカ百科事共』に「世界最大のハンデ戦」と書かれた南半球随一のレース。毎年十一月の第一火曜日、メルボルン郊外のフレミントン競馬場で行われる。二歳以上、芝二二〇〇メートル。レース当日、ビクトリア州は祝日となる。
ジャパンカップ(日)
本邦初の国際競走として、十一月末の日曜日、紅葉の美しい東京競馬場で争われる。二歳以上、芝二四〇〇メートル。欧米、オーストラリア、アジアと、地球規模の出走馬が揃うレースは世界広しといっても他に例がない。
競馬ウンチク事典改訂
馬券の種類が多様化し、単・複の控除率が引き下げられ、百円元返しも原則廃止された。 英、米のレース距離は、現地のハロン、マイル表示から、わかりやすいように1ハロン200m、1マイル1600mの標準換算でメートルに置き換えた。
まず、「グレード競走」(日本の重賞競走)について。 世界のどこが「グレード」で、どこが「グループ」かは、なかなか興味深い。 「グループ競走」は英国主導で制定されたものであり、英国はもとより、フランス、アイルランド、ドイツ、イタリアなどの西欧、南欧、スウェーデンなどの北欧、アルゼンチン、ブラジルなどの南米諸国から、英国の影響の大きいオーストラリア、ニュージーランド、香港、UAE (ドバイ)、シンガポールまで、様々な国や地域で使われている。 ただし、英国の障害競走は「グループ」ではなく「グレード」が採用されている。
これに対し、「グレード競走」はアメリカの用語である。 この言葉はアメリカの隣国のカナダや、同盟国の日本、韓国、さらにチェコなどの東欧諸国や、開催国持ち回りで12月第1日曜日にカリブダービーなどの国際レースを行うメキシコ、ベネズエラ、コロンビア、プエルトリコ、ドミニカ、パナマ、ジャマイカ、トリニダード・トバゴ、エクアドル、コスタリカ、グアテマラのカリブ海沿岸諸国でも用いられている。
英国への反感が強いのかどうなのか、南アフリカの重賞は「グループ」ではなく、「グレード」と称される。
次に、アメリカのフィールド制について。 ケンタッキーダービーを例にとると、1996年までは「頭を単枠とし、12番枠にその他全頭を入れて全12枠のフィールド制が採用されていた。 その後、2000年までは全14枠のフィールド制で行われ、2001年以降は完全1頭1枠制(フルゲート20頭)となり、ケンタッキーダービーからフィールド制は消えてなくなった。アメリカの競馬で使われていた旧式の電算システムでは、12頭立てまでしか対応できなかったという。それで13頭立て以上のときは、人気薄の馬をひとつの枠にまとめるフィールド制が採用されたという経緯がある。
単勝オッズを示す電光掲示板の大きさもこれに対応していて、少し前まで、アメリカのどの競馬場へ行っても、掲示板があまりに小さくて驚いたものだ。 フィールド制は高配当を減少させ、ファンの欲求を満たすものでは決してない。しかもコンピューターを新式にし、掲示板を少し大きくすれば対応できることから、アメリカのフィールド制は次第に姿を消すこととなった。
JRAは最も新しいWIN5まで、様々な馬券を導入してきた。しかし、八枠連複は役割を終え、古色蒼然とした今もなお発売され続けている。これって、伝統を重んじ、古きを尊ぶ日本人独特の感性がそうさせているのであろうか。 代わって「もちつき競馬」についても、一言する必要がありそうだ。
昔はあれほど世間でかまびすしく語られたのに、この用語はもはや死語になった。それは、みんな豊かになったからであろうか。 いや、そうではあるまい。富める厩舎とそうでない厩舎の格差は、昨今の日本の社会状況を反映し、25年前よりも確実に広がっている。今はもう、持たざる厩舎の年末特需さえ許されない。そういうことではないのか。
かつては否定的に思っていた「もちつき競馬」に、郷愁を感じるのである。 「降着」の項目も、時の流れを感じさせる。 日本の降着制度は本文の予告通り、1991年1月にまずJRAが導入し、年度開始の同年4月から地方競馬も採り入れた。
日本の降着制は英国など諸外国と比べてかなり厳しく、JRAは国際標準に合わせるため、2013年1月からルールを大きく変更した(地方競馬は同年4月から)。 今後は、走行妨害の不利がなければ、被害馬が明らかに先着できたはずだと判断されない限り、妨害馬は降着とされない(ただし騎手は厳しく制裁される)。 これにより、日本の降着件数は大きく減少することになった。現在のルールが当初から適用されていれば、91年秋の天皇賞のメジロマックイーンも、06年のエリザベス女王杯のカワカミプリンセスも、10年のジャパンCのブエナビスタも、すべて降着とされずに済んだであろう。
ただし、改定ルールでも、極めて悪質な危険行為で、ほかの馬や騎手に対して重大な支障を生じさせた場合は、降着ではなく失格処分とされる。
次に「テレビ馬」。 この用語も「もちつき競馬」と同様、もはや死語といっていいかもしれない。その昔、日本ダービーが二十数頭もの多頭数で争われていたころ、よく使われた言葉である。 もはやアメリカの競馬ファンでさえ、若い人はこの人物のことも、この言葉の意味も知らないのではないか。 ビル・デーリー氏は、私生活でも相当の変わり者だったらしい。 1922年の離婚裁判で妻がいうには、「20年前に結婚したとき、この人は56歳と言っていました。でも、それから歳を聞くたびに違うことを言います。今は76歳から百歳の間でしょう」と。
これに対し、デーリー氏は「いえ、私はいま68歳です。祖父の墓に誓って間違いありません」と、すましたもの。 妻の弁護人が「では68歳を20年やっているんだ」といっても、動じる気配がない。当時の ニューヨーク・タイムズがこんな成り行きを詳報している。
きっと読者の笑いを誘ったことだろう。「世界の大レース」についても、何か所か訂正の必要がある。 ダービーレコードはマームードから実に59年、1995年になってラムタラが2分32秒31を計時して更新した。その後、2010年にワークフォースが2分31秒33を計時し、今はこれがダービーレコード。ラムタラもワークフォースも日本輸入馬である。
ダービーの観衆は、以前の数十万人規模から減少一途となり、近年は10万人程度で寂しい限りである。エプソム競馬場の内馬場は原則無料につき、正確な入場人員はわからない。入場者の減少は趣味の多様化がその原因とされるが、果たしてそれだけが理由なのか、少々気にかかる。
パリのロンシャン競馬場は2014年の凱旋門賞後、改修工事に入る。一時閉鎖されるが、2016年の凱旋門賞前に新装成って再開される予定だ。 ロンシャンには新たにオールウェザー(全天候)の馬場が敷設され、スタンド改築と合わせ総工費1億2500万ユーロ(約160億円)が計上されている。2015年の凱旋門賞はシャンティー競馬場で行われる。
ブリーダーズCクラシックが世界最高賞金だったが、1996年にドバイワールドCが創設され、以後ずっと、これが世界一の高額レースである。 2013年現在、ドバイワールドCは総賞金1000万ドル(約10億円)、1着賞金600万ドル(約6億円)。レースはナドアルシバ競馬場のダート2000mから、2010年にメイダン競馬場の全天候夕ベタの2000mに移された。日本のヴィクトワールピサが2011年にこれを勝った。
ワシントンDCインターナショナルはブリーダーズCが創設され、年々注目度を高めていくのと対照的に、その地位を失い、役割を終えた。日本からは年度代表馬クラスの8頭が延べ9回挑戦したが、勝負になったのは1967年のスピードシンボリ(5着)だけ。 あとはことごとく着差23~44馬身もの大差で敗れ去った。その当時の苦難の時代があって、日本馬の今の世界進出があるのだと思う。
ジャパンCはその後、次第に海外から強豪が集まらなくなり、問題が顕在化している。日本馬が強くなったこともその一因だが、あまりの高速馬場に二の足を踏む海外関係者がいるのも事実だろう。対策が急務である。
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