芝、ダート共通の1マイル世界レコードはどうなっている

世界レコードのマイルストーン

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「マイラー」は、確かに競馬ファンの郷愁を誘う麗しい言葉だと思う。 古くから1マイルが競馬の基本距離とされたのも、1マイルに対するホースマンたちの思い入れの強さを偲ばせるものがある。英国ダービーが創設された当初、距離は12ハロン(約2400メートル)ではなく、1マイルであった。英語では長さの単位から興味深い派生語がいくつも生まれている。

フットからはフットステップ(足跡)、ヤードからはヤードスティツク(判断基準)、そしてマイルからはマイルストーン(里程標)という美しい響きの新語が造られた。マイルストーンとは文字通り、1マイルごとに置かれた標石のことであり、そこから転じて、歴史や人生における重大な節目や、画期的な事件を意味するようになった。 本文を書いた後も、マイルを巡る人と馬のドラマは尽きることがない。

ドクターフェイガーが驚異のレコードを計時した1968年のワシントンパークH (ダート1マイル)は、45年後の今、ネットに甦った。 当時の実況中継を見よう。外枠スタートから2~3頭による激しい逃げ争いを制し、直線半ばで相手を置き去りにすると、最後は騎手のB ・バエザが手綱を抑える大楽勝だった。それも、本文で触れた圧倒的なトップハンデを背負い、勝ちタイムは世界レコードである。

ドクターフェイガーはその直後、芝のユナイテッドネイションズH (現在のGl)を勝ち、続く引退レースのヴォスバーグH (アケダクト、ダート7ハロン)では、139ポンド(約63キロ)を背負って1分20秒のトラックレコードを記録した。このレコードは31年後の1999年まで破られなかった。

ドクターフェイガーは1968年の年度代表馬に加え、古馬牡とスプリンター、芝ホース牡のタイトルも獲得した。アメリカで同じ年に4つの部門で最優秀馬に選出された例は他にない。2~4歳まで走り、5・5~10ハロンの距離に22戦18勝。引退後、71年に首位種牡馬となったが、76年に腸捻転のため12歳の若さで死亡したのは残念だった。 「ドクターフェイガー」という馬名は、J.ネルード調教師が65年に落馬で瀕死の重傷を負ったとき、難手術を見事に成功させて命を救ったチャールズ・フェイガー脳外科医にちなむ。

命の恩人の名前を付けた馬が世紀の名馬となって、ネルード師もさぞ本望であったろう。ネルード氏は2013年2月、ニューヨークの自宅で100歳の誕生日を元気に迎え、アメリカの競馬マスコミに明るいニュースを提供した。 ドクターフェイガーの1マイル世界レコードは、29年後の97年2月5日、イズイットイングッドがザバートS (サンタアニタ競馬場、芝1マイル)を1分32秒05で逃げ切り、ついに更新された。このタイムはアメリカ伝統の5分の1秒単位に直すと1分32秒0となる。アメリカ発の外電は「1マイルの世界レコード破られる」と発信した。

これには英国からさっそく反応があった。すでにスイーダという馬が1963年にブライトン競馬場で芝1マイル1分31秒のタイムを出していると。そうすると、ドクターフェイガーの68年のタイムはもとより、これを更新したイズイットイングッドの記録も世界レコードではないことになる

これにはさらに続きがある。スイーダのタイムはその後更新され、チェイスザドアーが90年にブライトンのサマーC (芝1マイル)で計時した1分30秒9が、現在の世界レコードであると。しかし、その後ほどなく英国ジョッキークラブから全英の競馬場に対し、レース距離の再計測を求める通達が出され、その結果、ブライトンの1マイルコースは1マイルより6ヤード(約5・4メートル)短いことが判明するのである。

これでは世界レコードどころか、参考記録にしかならない。そのはずなのに、ブライトン競馬場のホームページを見ると、チェイスザドアーのタイムは今もなお、1マイルの世界レコードとなっている。これは英国でしか通用しないレコードであろう。 ただし、タイムの計り方に違いがあることは考慮に値する。英国ではゲートが開いた瞬間から計測開始となるのに、アメリカでは(日本もそうだが)、スタート後に助走距離が設けられていて、英国は不利だという議論がある。しかし、ブライトンは周回コースではなく、スタート後に急勾配の下り坂があって、高速タイムが出やすい。その証拠に、レコードを出した右の2頭とも上級競走馬ではなく、レコードといってもありがたみがない。

ここで注意したいのは、ドクターフェイガーの記録が破られたのは事実でも、それは芝のレースだということ。ダートーマイルの世界レコードは、2013年の現在も更新されていない。ただし、アメリカのナジランという馬が03年5月7日、ベルモント競馬場のダート1マイルで1分32秒24を出し、秒単位ならドクターフェイガーと同タイムになることから、これはダートーマイルの世界タイ記録とされている。

では、芝、ダート共通の現在の1マイル世界レコードはどうなっているか。アメリカのマンデュラーが2010年6月6日、モンマス競馬場の芝1マイルで1分31秒23を計時し、これが現在の世界記録である。 代わって1マイルではなく、1600メートルの世界レコードとなると、これは現在、日本のレオアクテイブが持っている。2012年9月10日のGⅢ京王杯オータムH (中山、芝1600m)で、1分30秒7を叩き出した。アルゼンチンのリトンが95年の芝1600で計時した1分31秒0を、7年ぶりに更新する世界記録である。

1600メートルは1マイルより9メートルほど短いだけであり、1600メートルも1マイルも便宜上同じだとすれば(ちょっと乱暴かもしれないが)、競馬の基本距離の中でも最重要とされるこの距離の世界レコードは、そう、いま日本の馬が持っている!

1600メートルの日本レコードは、1907(明治40)年当時、1分53秒だった。それが、わずか8年後の1915 (大正4)年には、1分48秒0へと大幅に更新される。それから時代は一気に下って、1977年10月、中山のオープン競走(芝1600m)で、トウショウボーイが日本初の1分33秒台となる33秒6を出し、さらにそれから35年かかって、2秒9も短縮されたことになる。

他方、日本のダート1600メートルのレコードは、クロフネが2001年のGⅢ武蔵野S (東京競馬場)で記録した1分33秒3である。 アメリカではすでに今から半世紀以上前の1956年の時点で、スワップスがダート1マイル1分33秒の、クロフネより速いタイムをマークしている。 日本の芝は時計が速すぎ、ダートは遅すぎる。残念ながら日本の馬場は芝もダートも国際標準から外れているように思えてならない。これで果たしてフェアな国際レースを行うことができるのだろうか。いささか心配になってきた。

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